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ロービジョンの人も、一人ひとりが自立して楽しく人生を!。
文責:吉村宗夫(全印総連・印刷ユニオン、大日本印刷分会長)
新着情報
2024.01.01
社員1200名、非正規労働者300名の職場
に「ユニオン」を。
銀座七福神めぐり
● 大日本印刷久喜工場(埼玉県久喜市)は、印刷・製本の工場で24時間1年中稼働していた。社員1200名、非正規労働者300名が昼勤と夜勤に別れ働いていた。非正規労働者は8時30分から17時30分までの昼勤と、20時30分から5時30分までの夜勤者で、原則毎日3時間の残業がある「眠らない工場」だった。非正規労働者には、3月11日から9月10日までと、9月11日から翌年3月10日まで半年間の労働契約書を毎年更新していた。しかし契約書には甲乙がなく、いわゆる労働者の控えを渡さないシステムだった。1種類の労働契約書を労働者に渡しその場で署名、捺印するよう指示され「本社に送り、雇用責任者の押印が済んだら、コピーして労働者に郵送するから」という説明だったが、多くが送られることはなかった。時給860円で週4日以上勤務すると60円が皆勤手当てとして加算される労働条件だった。
● 1日8時間の労働契約時間前の早帰り。この工場では、ラインごとに製造する雑誌が分かれ、予定数が製本されると非正規労働者はその時点で「早帰り」の指示がなされていた。労働基準法26条は契約労働時間前の早帰りは「会社都合の休業にあたり、休業手当の支払い」が科されていた。しかし非正規労働者に休業手当が支払われることはなかった。
● 昼勤・夜勤とも毎日3時間の残業が科されていた。2010年3月からの労働契約書は、8時30分から19時30分まで1日10時間の所定労働時間に突然変更になった。労働基準法32条は1日8時間、週40時間と定めており、労基法違反であった。変形労働時間制を導入することの説明も、従業員代表が新たに会社と調印した残業時間、いわゆる36協定の写しの掲示もなく、周知徹底することはなかった。もちろん理由を問いただしても説明など一切なかった。
● 労働契約書の写しを労働者に手交しない事、契約労働時間前の早帰りは会社都合の休業であり「休業手当の支払い義務」のあること、1日8時間を超えた労働契約書は無効である事、この3点を改善するべく、2013年2月15日、春日部労働基準監督署にたいして「申告書」を提出した。資料として給料明細書、労働契約書(わずかに郵送された分のみ)、毎日の勤務実態を記した手帳メモを持参した。
春日部労働基準監督署が労働者からの申告を受け、同月調査・臨検に入り、いずれも申告した、契約書の事前明示、早帰りは休業手当の支払い義務があること、1日10時間の所定労働時間は労基法違反であることを確認・改善を指示、改善報告書を同署に提出するように指導した。早帰りが労働者の自主判断なのか、会社指示によるものかが確認された。
● この結果、2013年3月からの労働契約書は1日8時間の所定労働時間に変更された。労働契約書はその場署名捺印から「1か月以内に労働者に郵送する」に変更された。会社都合の休業手当の支払いは、過去2年分に遡及しそれぞれ労働者に支払われた。最高で20万円超えた労働者もいたが、私は 7800円だった。少なくとも確認できる範囲では、同工場300名の非正規労働者はほぼ全員が支給対象者だった。
● 会社は労働契約書を労基署の指導の下1日8時間に変更したが、更なる労基法違反と賃金カットを強行した。2013年3月11日の労働契約書が、それまで「原則週5日労働」になっていたものを「週3日労働」に変更した。3月11日付の労働契約書が提出された後、労基署の指導があり会社も混乱していたため、1か月後の4月11日付けで再度契約書が手交されることになった。
私は労基署に申告した自身であることから、1日10時間が8時間に変更されているかを確認し、週労働日までは確認できなかった。翌年2014年4月に工場内の非正規労働者は大騒ぎとなった。20日付与の有給休暇が、一律非正規労働者全員9日間削減され11日付与だった。労基法39条は週3日しか働かなければ、有給付与は最高で11日だから一見合法に見える。非正規労働者にとり有給休暇は大事な賃金の一部だ。ノーワークノーペイの原則通り、1月の年末年始、5月ゴールデンウィーク、8月夏休みは工場の不稼働日が多くなるため賃金減少分を有給で補てんする。たかが有給休暇だが、非正規労働者にとって大事な賃金の一部で、それが削減されたことは賃金カットそのものだ。社員であれば、月給制で賃金が保障されていると有給は家族サービス等に消化し残日数を気にする事はなく、まして賃金の補てんに使う発想にならないのが普通の感覚だろう。
● 労働裁判の判例を見ても有給休暇が勤続期間中に削減された例など、聞い
た事がなかった。この労基法違反にたいして、どう闘うのが理想なのかを考えた。3月の労働基準監督署への申告は、会社にたいして匿名での申告だったから、有給削減たいしては名前を出して正面から是正を求めなければならない。この有給削減についても2014年8月21日、春日部労働基準監督署に申請したが、1時間も待たされて結果は「週3日労働の労働契約書に合意しているのだから、法違反に問うのは難しい」と退けられた。1時間待たされた間、会社にたいして点検の意味で問い合わせたのではないか、と疑った。さらに翌年2015年3月27日も同監督署に申告書を提出したが、契約書の合意を理由に受理されなかった。裁判か、労働組合を結成して闘うかの二者択一を迫られた。私が生きてきた矜持としても、目の前の労基法違反を見過ごせない。しかもこれまでの労基法違反すべてでなんの説明もない。
なぜ週3日労働なのかを総務担当者に聞いても「会社が決めたことだ」で一蹴された。また契約書の不同意の場合、保留することも会社は認めず、「契約書に合意できない人は仕事を指示できず、雇い止め解雇になります」と強硬だった。
● 私は有給削減の労基法違反について、あれこれ逡巡した結果全印総連の個人加盟組合に加入して闘うことを決断した。2016年5月3日メールで全印総連に労働相談をした。実は全印総連とは長く深い付き合いがあった。1978年7月31日、大日本印刷本社工場で有志の労働者が「日本共産党大日本印刷支部」名で、大学前で宣伝活動をした。しかしこのビラに数字の誤報があり、それを理由に懲戒解雇され、不当解雇撤回で闘っていた。私も雪印食品争議団の一員として、不当解雇された3名の支援のため、親会社雪印乳業本社のある新宿区四谷駅でのビラまき宣伝、本社前抗議行動で大日本印刷から不当解雇された争議団、指名解雇された沖電気争議団と一緒に「新宿争議団」として闘いをしていたからだ。私ども雪印食品争議団は、不当解雇された3名の職場復帰を目指して、新宿区労連を拠点に闘いを続けたがその時全印総連・東京地連・新日本印刷労組の多大なる支援をいただき、75年から82年まで闘い3名の解雇撤回、原職復帰・17名の賃金差別撤回を勝ち取っている。
● 私1人が2016年5月3日、全印総連宛てにメールで有給削減の状況を相談し、後日組合事務所を訪問し個人加盟組織「全印総連・情報印刷関連合同支部」に加入した。必要な書類、労働契約書、給料明細書を持参した。法律事務所も相談に訪れ弁護士から「万が一大日本印刷が団交拒否、あるいは吉村さんに解雇等の攻撃があった場合はどうしますか」と聞かれたので、躊躇することなく「労働審判で闘います」と答えた。というのも同じ大日本印刷久喜工場の敷地内に「DNPファインエレクトニクス」があり、そこに派遣社員として勤務していた労働者が、派遣切りにあい撤回を求めて裁判を闘っていたことを知っていたからだ。不当に派遣切り解雇になったHさんは、支援する全印総連の仲間と、月1度のペースで久喜駅宣伝をしていた。DNPファイン社は、大手キャノンやSONYから電子部品を受注して携帯電話の製造をしていた。これは同じ敷地内にある別の建物で、携帯電話の組み立てをしているなどを知り驚いたことを鮮明に覚えている。2008年アメリカのリーマンブラザーズ証券会社の経営破綻に端を発する「リーマンショック」によって、日本国内では主に自動車会社に勤務する派遣社員が「派遣切り」にあい、年末に寮を追い出だされ、日比谷公園で「年越し派遣村」が開催され、解雇された労働者の支援や炊き出しが行われ、年末に派遣切り解雇した自動車会社は軒並み世間から批判されていた。大日本印刷はこの時期に派遣切り解雇するとマスコミや世間から批判されることを恐れ、騒ぎが一段落した2009年1月に解雇したのだった。3月末まで労働契約があったにも拘わらずその解雇事件は、さいたま地裁で従業員地位確認は敗訴、東京高裁でも敗訴し、最高裁に上告している時期だった。
ただしさいたま地裁では、派遣会社ユニデバイス従業員にたいして、DNPファインから直接指示命令で出されたことにたいして「偽装請負」であることが認定されている。
(株)大日本印刷との初めての団体交渉。
● 2016年6月1日、大日本印刷株式会社北島義俊社長宛てに情報印刷関連合同支部名で、吉村宗夫が当労組組合員であること、2014年から実施された「有給の削減にたいして20日に戻す事、過去2年分の有給削減分を日数で付与する事」を要求する団体交渉申し入れをした。
大日本印刷からの回答は6月10日「団体交渉は受ける所存ですが、業務多忙のため6月21日まで回答の猶予」が出された。日程調整が労使双方で行われ
2016年7月5日に第1回の団体交渉が開催された。場所は久喜市三高サロン会議室、組合側出席メンバーは全印総連中央本部委員長・情報印刷関連合同支部委員長の是村高市、同東京地連書記長田村光龍、吉村の3名、会社は出版メディア事業部総務部長難波朗、同総務グループ長長嶋億人、出版メディア総務部馬野忍である。団交開催前に労働者控えであるはずの不足している私の労働契約書9通、および非正規労働者の就業規則の手交を請求したのは当然だった。
● 全印総連が大日本印刷との間で、団体交渉を開く事は実は初めてのことだった。78年に懲戒解雇され解雇撤回を闘っていた労働者を、全印総連として支援決議をしていたが本社への抗議行動の際、解雇撤回の申し入れも団交の要請もすべて断られていた。さらに2009年DNPファインを派遣先として働いていた派遣社員の「派遣切り解雇」でも、申し入れ書の受け取りも、団交要請もすべて断られていたからだ。現行の労働法では団体交渉は雇用主が応諾の義務があるが、解雇された当事者が大日本印刷の従業員でないため応諾の義務はないとしていた。労働争議の場合法的責任は雇用主会社に、背景資本として親会社等に責任を取らせるために運動をするのが鉄則である。
● 2016年7月5日、18時30分からの団体交渉で、会社側は「週刊誌の印刷・製本業務が減ってきており週4日または5日働いてもらう事が困難になって
きている」「今後も生産増は期待できない。決して有給削減が目的ではない」「組合の要求する年20日付与には戻せないし、過去2年分の有給補てんもできない」と強硬だった。私はまず労働契約書が労働者本人に手交しないのは労基法違反であり、そうした契約書は本人の同意を得たものとは言えない、と久喜工場の実態を話す。次に労基法39条について、年52週計算で労働日の8割出勤とは年間216日労働したかどうか、を確認し2012年は219日労働プラス有給消化10日間で229日労働しているので、有給カット以外考えられないと反論した。ちなみに2008年4月大日本印刷久喜工場に非正規労働者として入社し、2008年は159日、2009年239日、2010年245日、2011年238日、2012年219日、2013年197日、2014年216日、2015年223日、2016年226日労働していた。
年52週で週3日労働なら156日しか働いていないことになる、会社のウソは明白だった。しかし会社は労基法違反ではない、を繰り返すばかりだった。結局会社側に再考を促してこの日の団交は終了した。
●再考団交は2016年9月13日に開かれた。出版不況、工場稼働率低下を理由に週3日労働契約をしたから、有給付与が11日になったというが、そんなことは労働者の責任ではない。週3日労働は24時間労働になり、社会保険加入資格をはく奪する暴挙にもなりかねない。有給付与は賃金カットでもあり、世界中で年間売上高1兆円を超え、凸版印刷と並び世界最大の印刷会社であり、大企業が安易な賃金カットなど許されるわけがない。私の場合2014年は時給940円×8時間=7520円が1日分の給料になる。14年は8日間カットで60160円、15年9日間67680円、16年9日間67680、合計3年間で195520円の賃金カット、しかも労基法違反によるものだった。
団交で労使押し問答の末、会社から「年末に来年度の物量予想を立てる。そこで週4日、あるいは5日労働が可能であれば週4日労働の契約書を作り替え、来年4月付与の有給を20日間に戻す」と、口頭の条件付き回答があった。ただし過去3年間の有給削減分の付与は行わない、と強硬だった。労働組合で検討結果、秋年末要求書提出団交時に、来年の物量と週労働の確定値を確認することで、いったんこの有給削減交渉は終了とした。
非正規労働者300名に「20日の有給休暇」を実現。
● 職場の中で非正規労働者に団交結果を伝えたが、口頭では理解が難しかった。
団交も有給削減が労基法違反の賃金カットである事も、労働組合員としての経験もない非正規労働者だから、実際給料明細で自分の有給が20日付与に確認できないうちは確信が持てなかったのだろう。また吉村個人が組合に加入し交渉したということは、仮に有給が回復したとしても吉村個人のみが付与を勝ち取るのであって、組合に加入していない労働者には影響が及ばないと考えるのが圧倒的だった。ここから私は支部の了解を得て、DNPファインから不当な解雇をされたHさんの久喜駅ビラまき宣伝に合わせ、月1度労働者向けのビラを作り一緒にまくことを実施した。2016年秋年末闘争は全印総連の日程に合わせ、初めて要求書を提出し、工場内最低時給1000円、契約書にある「賃金の改定は実施しない」の削除を項目に入れた。この団交で会社から来年の物量の予想が示され、「来年4月から週4日労働の契約書に戻し、有給付与を20日間に戻す」と口頭の回答があった。これで同社久喜工場に勤務する非正規労働者全員300名の有給は、年間20日間付与を約束させる成果となった。
最初に宣伝したのは以下の通り。
全印総連の団交で、アルバイトの有給は20日回復へ。
大日本印刷久喜工場で、2017年1月から行われたアルバイトの契約更新は「週4日労働」に改定され、4月から20日付与の有給になります。これは同社が、所定労働日を13年に「1週間に3日」と変更したもので、これを理由に20日付与の有給を11日に半減させたもの。1日10時間30分の過重労働を強いていながら、契約書だけは1日8時間未満のパートタイマーとして扱う、きわめて姑息な労基法違反行為でした。16年会社と全印総連との団交を2回実施し、有給カットの撤回を要求し「17年から週4日労働とし、有給をもとに戻す」と会社が回答していたもの。有給が最高で20日付与は当たり前のことですが、3日契約のままだと、初年度5日で、6年半勤務しても最高11日のままです。同社久喜工場ではアルバイト300人で、この300人が今回有給カット救済の対象になりました。
あなたも、全印総連の組合に加入し労働条件の向上を目指しましょう。
大日本印刷のアルバイトの皆さんに、労働組合に加入し安心して働き続けられる労働条件を勝ち取るために、加入を呼びかけます。
● 2016年秋年末闘争の要求書は、工場内最低賃金1000円、冬一時金一律10万円、「契約書の賃金の改定は行わない」「退職金は払わない」の項目削除だった。団交は12月1日、労使とも同メンバー、同場所、時間で行われた。会社は対前年比売上−3.5%、営業利益−42.3%であり、組合の要求に応じられる状況ではない、を繰り返し「回答は賃上げゼロ、冬一時金22800円、契約書内容の削除は応じられない」だった。冬一時金22800円は大日本印刷という大企業がいかに非正規労働者を搾取・収奪しているかの証拠であり、経営自体も労務費の削減でしか利益を出せない日本企業の病根であり宿痾そのものだった。しかも労働組合で要求書を出して、団交で回答書を受け取るまでは一時金は出るのか、出ないのか、金額はいくらかなど誰も知らなければ、会社からの通知すらなかった。事前にいくら支給されるのかを知ることができるのはまさに労働組合の力であり最大の効果だった。私の時給は2012年に920円から940円になったが、これ以降賃上げはなかった。会社業績が悪い事は労働者に責任はなく、むしろ経営者の責任であり労働者に責任転嫁していると批判した。
大日本印刷久喜工場が2012年10月20日求人誌「クリエイト」で募集したのは8時30分から20時まで、週刊誌、月刊誌の製本および加工で、日給9650円
である。ところが2012年4月14日同じ「クリエイト」に子会社「DNP書籍ファクトリー」は、1000円から1200円、昇給ありで久喜工場より高い。派遣会社「フルキャスト」から工場を派遣先にしている場合868円から、2012年8月には920円に賃上げがあった。DNPファインを派遣先として派遣会社ユニデバイスの募集は1060円であった。当然組合から資料として現物を会社に提示しての説明に終始したことは言うまでもない。全国にDNPの看板を掲げ大日本印刷直工場に思われるが、実は久喜工場のみが直工場であり、他は連結決算の子会社になっていて132社あった。久喜市の南隣白岡市にある工場がDNP書籍ファクトリーという子会社だった。そこから大日本直雇用労働者が時給960円で新たに募集、子会社は1000円から1200円で昇給あり、派遣会社は1060円では、直雇用非正規労働者が940円で一番安いのは本末転倒と組合は批判した。最初本社総務課は「子会社のことまで把握していない」とうそを言っていたが、「近隣子会社の労働条件すら把握していないで本社総務課が務まるのか、しかも組合との賃金交渉の場に臨むにしては次元が低い」と組合は強烈に批判した。
さらに「賃金の改定は行わない」「退職金は払わない」の労働契約書からの削除要求にさえ拒否し、「非正規労働者において毎年賃上げがあると誤解されると困るから」が理由だった。組合は国に最低賃金という法律がある。この法律以下でも賃金の改定は行わないのか」と問いただすと「法律は守ります。最低賃金を上回っているので問題がない」と開き直った。すかさず組合は「最低賃金以下の場合は賃金の改定を実施する」と入れなければ、法律を破ってまで大日本印刷は賃上げをしない会社と、誤解されるのではと反論した。まるでマンガチックと言える交渉内容だった。当然会社はこの反論に絶句して言葉も出なかった。また2012年に求人誌「クリエイト」や「アイデム」に盛んに求人案内をして非正規労働者の募集を行っていたが、有給削減時の言い訳「物量が減っていて週3日労働が厳しい」が全くのウソで、単なる労基法違反の有給削減・賃金カットが明らかになっていた。こうした経過があり、2017年3月からの労働契約書は「週4日労働」と共に「賃金の改定は行わない」のみ削除された。
待望の労働組合員第1号は労働者の要求から生まれた。
● 2017年4月25日は給料日で明細書が各自に手交されるが、そこで初めて自分の有給休暇が20日間に戻っていることを確認できた労働者は歓喜の声を上げた。「組合で交渉したことは本当だった。我々全員が20日に戻ることなど予想もしなかった」「ありがとう」と率直な意見が圧倒的だった。1週間以内ではお礼ですと言って、焼酎「いいちこ」のビンが置いてあり、帰りに居酒屋に誘われご馳走にもなった。そこで私は「気持ちはありがたいがそうじゃないよ、組合に入って一緒に活動してみましょう」と組合加入を誘い出した。しかし居酒屋で話をしてもすぐに分かったとなる労働者はいなかった。この有給削減を撤回させた画期的な成果は、全労連や東京地評の幹事会でも報告され高い評価を得ている。全印総連では秋年末闘争の準備が始まり、来春闘に向けアンケートを労働者と会話し要求を聞き出そう、の運動が始まっていた。現在の年齢、社員化か非正規か、現在の給料と時給、月収や年収、労働組合に加入しているか否か、加入する意思があるかどうか、いくらの賃上げが必要か等23項目の質問があり、労働者との会話にちょうど合致する項目だった。
2016年5月に私が全印総連の個人加盟組織に加入した年末は1人で20枚配布し労働者と面談して12名からアンケートを回収していた。翌年はさらに大胆に活動の幅を広げようと決心し、30枚配布し22名から回収できた。この結果数名ではあるが、条件次第で組合に加入しても良い、との回答もあり更なる労働条件で要求は何かを探るため面談会話を続けていた。
● 待望の労働組合員第1号は労働者の要求から生まれた。
17年8月に非正規労働者で働く女性から「有給が11日で増えない、週3日の契約書になった」との相談を受けた。300名のアルバイト全員に労働契約の見直しを実施させて確実に全員5日の20日有給付与だと思っていた私も迂闊で、よく見ると女性や高年齢者に有給が回復していない事例が散見された。彼女の1年分の出勤日数を把握するため、毎月何日出勤したかのメモか手帳、なければ毎月の給料明細を求め、早速組合に加入することを勧めた。「団交で回復できるから任せなさい」と説得し組合に加入してもらう。本人にも確認し、組合員であることを公表しないと団交を申し込むこともできないからと、了解を得て会社に公表し団交を申し込んだ。会社との団交日程調整している間、要求獲得には応援団が必要と思い9月に1人にさらに以前から飲み友達であり、同年代で話の合う労働者に組合加入を勧め加入してもらった。10月にさらに1人が加入してもらい即公表した。
3か月連続の組合員拡大と公表で組合員は私を含め4名になり、会社は驚き大慌てになった。2017年12月突然個別面談があります、とアナウンスがあり工場総務課長、職場の課長が2対1で300人の非正規職員全員に30分程度の面談を初めて実施した。年末生産の忙しいときに一部ラインを止めてまで行われたことでも会社の慌てぶりはわかる。30代の非正規労働者に聞くと「要求、要望、不満はないですか」と聞かれて「びっくりした、今まで聞かれたことがないから、なんといっていいかわからずとりあえず時給を上げてくださいと言った」。私の面談は「どうしたのですか、突然個人面談など聞いたこともないし。組合対策ですか」と露骨に聞いてみた。会社は大慌てで「組合さんの要求はべつの機会、団交でよく聞きますから。今日は仕事上で困っていることなどを聞くための面談です」ととぼけていたものの、突然の個人面談、しかも史上初を考えればその不自然さは明らかだった。個人別の思想調査、ガス抜きとも受け取れる行為を実施し、最後に「組合なんかに入っても何も変わらないから、入らないほうがいい」とだめ押しされた労働者まで散見された。組合員であれば立派な不当労働行為であり、表向きは全印総連の組合員が増えたことに冷静を装っていたが、内実の慌てぶりは相当なもので必死なのが伝わって来た。というのも大日本印刷において非正規職員が現職のまま労働組合員を公表し、賃上げなどの待遇改善を求めて毎回団交を開催するなど初めての経験であり、このまま組合員が増えることへの危機感の表れと言えた。会社も「鉄は熱いうちに打て」を意識し、組合員が増える運動の勢いに危機感を抱いた。しかも3か月連続で組合員増加・即公表は、これ以上増やされてはかなわないための対策そのものだった。
また組合員が4名に増えて、解雇無効の裁判を争っていたDNPファインの派遣社員の解雇争議は、最高裁で棄却され敗訴が確定したが、東京都労委に「団交に応じないのは不当労働行為」として訴えていた。会社は都労委でも棄却を申し立て話し合いの糸口さえなかったものが2018年6月和解として成立し、9年半余りにわたった争議も解決できたもので、同時並行的に大日本印刷を責めたことは効果があったと判断している。
ここで注目したいには、和解交渉で大日本印刷が、インターネット上でDNPファインの解雇争議で争っている事件をすべて削除することを要求してきたことだった。DNPファインも派遣会社ユニデバイスもすべて大日本印刷が設立した子会社であり双方の役員は大日本の天下りだった。親会社責任が問われるのは自明なのに、かつ労働争議解決や団交の要請もすべて関係なしと断って来たのに、すべてを削除する要求は案外会社経営者に効果があった証左だろう。
組合員となった女性の有給回復は、その後の団交で「年末の出勤日数で来年の労働契約を見直すから」と口頭で約束していた。口頭の回答に不満があったが、労働契約を見直すと、明言したことは成果そのものだった。2018年4月彼女の労働契約は週4日に変更され有給も20日に戻された。
雇い止め解雇されないため、安心して定年まで働き続けるために「無期転換」を。
● 17年秋年末闘争要求書提出団交では、来年つまり2018年4月から労働契約法の法律が変わり、非正規労働者でも通算5年を超えていれば「無期転換」にできる事になった。久喜工場の非正規労働者に「社員と非正規労働者の違いは」と聞いても満足に応えられる人はいなかった。一時金がある、転勤がある、あるいは給料が高い等を応える労働者ばかりで「雇用期限のさだめがあるかないか」が最大の違いを答えたものはいなかった。同じ工場敷地内のDNP ファインが、ユニデバイスという派遣会社の社員300名を「派遣切り解雇して、解雇無効を求め裁判」を起こし月1度久喜駅で解雇撤回のビラを撒いて、それを受け取り読んでいるにも拘わらず、自分には関係がないのだった。
毎年3月と9月に労働契約書が会社から提示され、何年とそれを続けているため「雇止め解雇」など自分には関係のないことなのだろう。実際雇止め解雇された経験者は雇用期限とその延長に神経をとがらすが、経験のないものには「雇止め解雇」など他人事であった。私が久喜工場に入社した2008年の「年越し派遣村」をテレビ等で見ていても自分だけは雇止めになると考えが及ばない。職場に労働組合が存在しない状態が如実に表れ、「職場の砂漠化」と言える状態だった。このためビラを作り「生活の安定は雇用の安定から」を表題に、雇い止め解雇されないため、安心して定年まで働き続けるために「無期転換」を申請することを訴えた。毎月の久喜駅前でビラをまき、ハンドマイクで訴えたのは、多くの工業団地があり非正規労働者が多くいるためである。秋年末闘争団交で組合から「来年4月から勤続5年の人は無期雇用に転換できるが、法律を守るのか、それとも雇止め解雇を考えているのか」を質した。会社の回答は「雇止め解雇を考えていません。無期転換も法律に沿って実施します」と半年前に口頭ではあるが無期転換を約束させた。実は2017年6月凸版印刷株式会社A事業所で契約社員として働いていたBさんが、会社から「来年3月末で雇止めにする」と1年前に通告され、悩んだ挙句全印総連の個人加盟組織に加入していた。
全印総連は凸版印刷にたいしてBさんの組合加入を通知し団交を申し入れていた。同じ印刷会社大手でもすでに雇止めの事案が発生し、会社にたいして雇止めの撤回と継続雇用を求めていたからだ。団交の結果雇止めは撤回しなかったものの、これまでの仕事で付き合いのあった会社にBさんは再就職することができ、この件で凸版印刷との団交は終了した。半年前に口頭ではあったが、大日本印刷が非正規労働者を法律どおり1人の雇止め解雇もなく無期転換できたことは大きな成果だった。なお2018年4月からそれまで非正規労働者は「アルバイト」と就業規則上も職場でも呼ばれていたが「サポートスタッフ」に名称が改められた。
「全印総連・東京地連・情報印刷関連合同支部・大日本印刷分会」を結成
。
● 2018年9月1日、情報印刷関連合同支部の定期大会が開かれこの支部内に「大日本印刷分会」が結成された。京都のプリントパック工場で2013年30代の若者が中心になり「プリントパック分会」結成されてから実に5年ぶりに新しい分会の結成となった。定期大会には4名の組合員全員が参加し、合同支部の組合員との交流会が開かれた。2018年9月6日大日本印刷にたいして「全印総連・東京地連・情報印刷関連合同支部・大日本印刷分会」が結成された通知を提出、組合員への脱退強要、組合員への差別的扱いは不当労働行為になることを通告し、分会長は私が選出された。大日本印刷分会は、工場のある久喜市公民館に登録しこの場所で毎月定例の分会会議を開催することにした。毎月1度久喜駅のビラまき宣伝500枚配布は、合同支部の組合員の協力をいただき実施し続けている。19年になると、大日本印刷分会への加入が相次ぎ組合員数は2ケタになった。会社に公表する組合員と、非公表の隠れ組合員、潜伏組合員も存在することになった。
この年は派遣会社「フルキャスト」からの派遣社員の相談があった。1年間を通して直雇用の非正規労働者と同じ時間で働き、週5日働いていたが、有給休暇も社会保険にも加入していなかった。週30時間以上働いている事は派遣会社からの給料明細で明らかで、いわゆる脱法行為だ。からくりとしては、1日単位の労働契約書になっており、その日に給料日払いをして会社と労働者の間に、債権、債務のない状態にするやり方だ。社会保険に加入させず、有給休暇も付与しない、賞与もないのを何とかしたい、との相談だ。しかし組合員に加入させたが、会社に公表するには「解雇」される恐れもあったため、秋年末闘争要求書に入れて交渉することにした。組合員が多くなるということはそれだけ要求も多様化することであり「サービス残業をやめさせたい」という声が上がった。昼勤は8時30分から残業3時間を含め20時30分までだが、夜勤者は8時30分まで仕事をしている。ここで引継ぎの時間が本来あるが、大日本印刷久喜工場では製本機を止めたくないため「15分前にはラインに入り引継ぎをしろ」と業務指示が出されていた。つまり8時30分出勤が8時15分にはラインに入って仕事をせよ、ということで着替えの労働時間も認めず、15分の賃金は払われずサービス残業になっていた。社員については8時前から針金の準備や、梱包するためのハトロン紙の断裁、当て紙の準備など少なくとも40分前から働きサービス残業になっていた。これをすべてなくすため団交で追求した。非正規労働者のサービス残業についてはすぐに改善すると回答し、15分前の引継ぎはなくなったものの社員については本人が自主的に働いているとして改善しなかった。しかし目の前で労基法違反があるのに目をつぶるわけにはいかないし、「自主的」に働いていて労働災害に遭った場合労災申請をしないで「労災隠し」することが懸念された。自主的に働いているという隠れ蓑でサービス残業の強要をするのだから二重三重に罪深い。結局社員のサービス残業も改善され40分前に働くことはなくなった。派遣社員については、大日本印刷久喜工場が自社直接雇用にする事で20年4月から改善がなされた。
● 非公表でいた組合員を秋年末闘争要求書提出団交時に合わせ2名を同時公表した。すると大日本印刷は就業時間中に新組合員を1人ずつ職権で別室に呼び出し総務課と現場課長の2名が「全印総連の組合に加入したことに間違いないか」「なぜ労働組合などに加入したのか。今の仕事上で問題、要求、改善してほしいことはあるのか」などと問いただしたのである。それだけでなく、新組合員2名が、「10月28日に分会会議があるので残業なしで帰りたい」と申し出ると、「そんな勝手な事は認められない」「今後一切残業をさせない」という暴挙に出てきた。非正規労働者が大日本印刷で働き生活するのは、毎日3時間の残業があってのことで、残業を取り上げられれば「兵糧攻め」と同じで収入の4割減になる。しかも毎日3時間の残業は、工場から久喜駅まで送迎バスを使うと21時過ぎになり、帰って寝るだけになるので残業のできない日もある訳だ。わざわざ大日本印刷分会結成通知、組合員公表通知、団交の場でも労働組合への支配介入は不当労働行為になる事、場合によっては人権侵害になる事、したがって会社が組合へあるいは組合員に支配介入するなと、しつこく言ってきた中での出来事だった。分会の会議あるから残業できません、にたいして「そんな勝手なこと認めない」では露骨な組合活動への妨害だ。不当労働行為と組合員差別が同時に発生したことで、弁護士にも相談し不当労働行為として労働委員会への提訴の準備に入った。2019年11月12日大日本印刷株式会社北島義斉社長宛てに「不当労働行為への抗議と謝罪文の要求」書を提出した。さらに本社総務部に直接電話を入れ団交メンバーの総務課長に「ことの重大さを認識しているのか」と抗議し、このままでは労働委員会に提訴で労働争議になることを通告した。団交日直前に会社から電話があり、職場の管理者が「勘違い」して1週間前に残業できない旨の申し出が本人からなかったため「当日に定時退社は認められない」と答えたもので「残業をさせないなどの組合差別する意図はありません」として、管理者が組合員2名に謝罪したことを通告された。11月12日は団交があり当然この抗議文と謝罪文要求から始まった。
当日会社総務部長名で文書が手交された。それにはこうある。「総務課員および現場の係長が、貴組合員2名から個別にお話を聞いたのは事実ですが、それは貴組合から『組合加入通知書』が提出されたので、会社として念のため事実の有無を確認しただけです。面談の席上、加入の動機として職場の実情等にも話が及んだので、問題だとしている職場の状況についても話を聞いたものです。」「支配介入でも不当労働行為でもありませんし、ましてや思想・信条に対する人権侵害でもありません」。つまりは職場の管理者の勘違いと、念のため加入の動機を聞いたもので不当労働行為の意思などありません、という苦しい言い訳に終始した。労働委員会への提訴も考え準備をしていたが、総務部長名の「言い訳文書」が手交されたのでこの件は終了とした。
子会社132社と1万3000人の非正規労働者にも「定期昇給」が適用された。
● ところで2019年は非正規労働者にとって重要な裁判の判決が相次いだ年でもあった。郵政ユニオンの闘う仲間が労働契約法20条で、正社員と非正規労働者の間の格差について「違法」の判決を勝ち取っていたからだ。2019年3月大阪医科歯科大学の非正規職員は、「自分にだけ一時金がないのはおかしい」と裁判を起こし19年3月大阪高裁は「正規職員の6割の一時金を支給しなさい」と判決した。東京メトロ子会社の契約社員は退職金がないのは不合理として裁判し、東京高裁は「社員の25%の支払い」を求める画期的勝利判決を言い渡した。これまでの労働契約法に過去の判例を入れ新たに「パートタイム・有期雇用労働法」が2020年4月1日から施行されることに伴い「同一労働同一賃金」などについて学習したいとの声が分会から出されたため、弁護士を講師に呼んで大日本印刷分会独自主催で学習会を開催することにした。もちろん情報印刷関連合同支部からも多数の組合員が参加し、大日本印刷分会は全員が参加した。この勉強会で明らかになったのは、社員と非正規労働者での格差を立証するのは原告側という事だった。
つまり社員就業規則及びどんな手当が払われているのか、労働時間、時給額、休暇、年末年始の手当、通勤手当、食事手当等比較対象になる労働条件すべてを原告として訴える非正規労働者が証拠を集め準備しなければならない。ハードルは高い事が明らかになっただけでなく、残念なことにこの法律に罰則規定がないことだ。
● 社員と非正規労働者との格差是正が、団体交渉の場でも大きな議題になっていたが、大日本印刷は社員の就業規則をいつまでも分会に手交しなかった。それだけでなく、職場で社員の就業規則を確認しようにも労働者が閲覧できる場所に無かった。春日部労働基準監督署に申告書を提出し改善を求めた。後日監督官が立ち合いをして調査したところ工場総務事務所に終業規則はあったものの、各現場の事務所には皆無である、ことを電話で報告を聞いた。監督官は工場に対して「各職場単位で、誰でも見られる場所に設置する」ことを指導してきた報告を電話で聞いた。大日本印刷は、すべての会社の文書は社外秘にしており、表に出ることを極端に嫌う社風だった。これは大日本印刷に限ったことではなく、日本の大企業の多くが会社文書を社外秘にしている閉鎖性を表している。
不合理な格差是正について学習会を開いたが、組合員から「俺の賃金は1015円だが10年間上がっていない」との悲痛な声があがった。社員に定期昇給があり非正規労働者にないのはまさに不合理な格差そのものだった。早速ビラにして宣伝活動をした。10年間賃上げがない、との声はインパクトが大きかった。大日本印刷はすでに見てきたように近隣の子会社より非正規労働者の時給は低く少しずつ是正はしていた。例えば2016年から920円の工場内最低時給を20円上げ、940円に、翌年は20円上げ960円というように。しかし最低賃金をあげるということは当然賃金分布を考えほかの労働者も上げるものだと錯覚していた。しかし最低賃金だけ上げ、1000円を越えていた非正規労働者の賃金は上げなかった。団交でもこの点を聞いても何も答えることができない、ただ印刷・製本は縮小していて業界全体が厳しいを連発するばかりだった。しかしいつまでも時給1000円を越えたからといって、10年間も賃上げをしないのは異常である。
毎年賃金などの労務費の削減ばかりしてきて、感覚が鈍くなっている経営者の姿だった。遂に2020年4月1日から非正規労働者の賃金にも定期昇給が導入されることになったのだが、それは過去5年間の分会の組合活動の成果だった。1時間B評価だと10円ではあるが、定期昇給として毎年上がることになった。さらに社員の就業規則の職場への設置をめぐり労基署から指導を受けたことも背景にあり、この年初めて社員就業規則も手交された。団交の場で確認したことは、今回の定期昇給は久喜工場だけの適用かどうかだった。会社から久喜工場で交渉した内容は土台となり、全国の工場に在籍する非正規労働者にも適用になることだった。この時点で132社が連結決算子会社として有価証券報告書で報告されている。子会社は社名が別だから、就業規則も一字一句同じにはならないが、定期昇給に関わる金額、職務区分などは共通する内容だった。わずかな大日本印刷分会が本社総務と交渉した内容は、子会社132社と13000人の非正規労働者にも適用されることになった。
コロナ禍が印刷工場を襲う、そして社員組合の組織化攻撃のなかで。
● 4月コロナ禍が印刷工場を襲う。4月に緊急事態宣言が発出されると大日本印刷は「5月から週4日労働の徹底、1日の残業2時間以内」に勤務態様を変えてきた。確かに外出自粛などがあり、雑誌・本は極端に売上が落ち込み工場の仕事は激減したため、残業減と出勤日数減は非正規労働者にとり収入減となる厳しいものだった。労働契約は週4日労働であるが、実際は5日以上働く人もいて、そういう労働者はダブルワークをしていて、生活最優先になっていった。だから分会の会合も開催が困難になってきていた。分会の会合や団体交渉でその日を休みにすると月18日以上の労働が困難となり、18日以上働かないと精勤手当15000円が支給されないから給料減の働く貧困になっていた。それだけでなく、毎月20日までに来月の出勤予定表を1日から31日までを会社に提出し、会社がそれをもとに再度調整して確定の出勤表が出来上がる。労働者はそれで1カ月間の生活設計を立てる。ところが確定予定表が、2日前とかに会社都合で変更されることが度々発生する。団体交渉で問題にしても「出版社の都合で発売日の変更などがあるので、出勤日を変更することに問題がありますか」と開き直っていた。これも監督署に交渉に行き「最低でも1週間前には変更を労働者に告げ、本人の了解を取ること」「それがない場合は会社都合の休日になり休業手当の支給が発生する場合がある」との解釈を得て再度会社と交渉しているが、「本人が了解しているから問題がない」と頑迷に組合要求を拒否している。
新型コロナの緊急発出は人間の行動範囲と生活様式を一変させた。目に見えない病原菌であり、感染力は強く感染して高発熱になりそのまま死亡する人も出て、日本国内はもとより世界中でパニックになった。感染者と生活を共にすれば濃厚接触者に指定され間違いなく感染もした。外出自粛、学校が臨時休校、不織布マスクが品切れとなり、町は夜20時で閉店を余儀なくされた。そんな時分会会議をすると「ロッカー室を消毒していたが、コロナ感染者が出たのでないのか」と大日本印刷久喜工場で大騒ぎとなった。どこの課で発症したのか、昼勤者か夜勤者か、駅からの送迎バスは何時を利用したか、食堂の利用は,などが職場で騒ぎとなった。工場内で第1号感染者であり、当然必要な情報が会社から流れないからだった。
大日本印刷をインターネットで検索すると「コロナ情報」が出ており、間違いなく久喜工場で8月24日発症したことを公表していた。なぜインターネットで公表していながら工場で何も情報を流さないのか信じられないだけでなく、この会社の体質を見た。労働者の健康など微塵も心配していない企業の姿勢には怒りがわいてきた。社員が1200名、非正規労働者300名以上働いている工場なのに、コロナ感染者が初めて出たのに何も情報を流さず隠ぺいする、これには団体交渉を申し入れて従業員に周知徹底すること、再発防止策、工場の感染対策と発症した場合の労災申請などを確認する必要があった。
20年8月31日付「コロナ感染症についての緊急の団体交渉要請書」には「8月24日久喜工場で1名が発症確認されている。しかし久喜工場ではこれまで、新型コロナ感染者確認について従業員に周知徹底した形跡がなく、同工場全従業員の命と健康がかかっているため、緊急に団交を下記内容で申し入れる。なお従業員への事実関係の周知徹底は、事の重大性に鑑み今週中に実施されるように申し入れる」、とした。
団体交渉で会社は「たまたま周知するのが忘れていた」と苦しい答弁をしていたが、当時の状況から見るととても従業員の命を軽んじているのは明らかだった。秋年末闘争で冬一時金要求一律30万円を出していた。その趣旨説明団交で会社から突然「分会は仕事中にアンケート活動をしている。当然就業規則に抵触しており懲戒処分の対象になる」と突然のクレームを組合に寄せた。組合は「そんなことはない。仕事中に組合活動してはダメなことは周知徹底している。何かのまちがいだ」と反論した。会社は具体的にだれが、いつ、アンケートを配布したのかをのべている。分会のアンケート活動は要求の多数派をめざし、労働者から孤立していない証拠として多数の人との会話の中から集め、当然会話を重視して取り組んでおり組合員拡大のツールとして大いに活用していた。2016年に全印総連の個人加盟組合に加入してから2022年は52名と集め常に組合員の数倍に上っていた。会社は昨年分会に加入した組合員に「なぜ組合に加入したのか」を就業中職権で別室に呼び出し、不当労働行為をしていながら分会活動には目くじらを立てている。分会が非正規労働者と会話をして要求を聞き出すなど接触していることが気になるのだろう。当然組合活動への妨害行為での懲戒処分などさせはしなかった。
しかし会社は新たに非正規労働者の組織化に社員組合を説得し動き出した。これまで大日本印刷労働組合は、上部団体に加盟せず社内と子会社の正社員のみを組織し、非正規労働者の組織化に取り組んでこなかった。しかし全印総連の分会が要求書を提出し、団交を重ね定期昇給などを勝ち取ってきたことは無視できないことだ。社員労働組合もこれまで従業員代表の立場で、工場内のすべての労働者の労働条件を独占的に決めていたことが、分会の誕生でできなくなりこのまま見逃すことができなかったのだと推測された。そこで大日本印刷本社が主導して、社員労働組合に働きかけ非正規労働者の組織化に踏み込んだのだろう。団交で確認できたことは、会社が社員労働組合と協議して非正規労働者でも社員労働組合に加入できるようにユニオンショップ協定の一部を改訂したことだった。非正規労働者は組合費のチェックオフ協定も結び、組合費は月500円天引きされ、非正規労働者はオープンショップということだった。分会で確認をすると社員同様にシフト勤務者(社員同様に昼勤・昼勤・夜勤・夜勤・夜勤明け・休日・休日・1年間の変形労働時間制で1日10時間まで残業代が無い)に入っている労働者が数名加入しているのが確認できた。全国でも60歳で定年となり一旦労働組合を脱退した労働者が再加入を薦められ加入し、30名前後が新たに加入したと団交で本社総務部から報告があった。しかしこれは全印総連・大日本印刷分会の切り崩し攻撃に他ならない。本来なら未組織の非正規労働者が労働組合に加入できることは歓迎することだ。しかし社員労働組合は多数派を利用してこれまで通り非正規労働者の労働条件など意に介さず、まともに要求し交渉したことなど一度もなかったからだ。10年間一度も賃上げがないことがそれを証明していた。
2022年3月29日、賃上げ回答団交の席上会社から「4月1日から法定休日手当を削除する」と新たな不利益変更提案があった。毎週土曜日に法定外休日出勤手当として、125%が払われ残業と同じ扱いだったものが2010年から全部削除された。法定休日手当135%も2010年から月に2日分のみしか支払われなくなった。しかし国民の祝日にはすべて法定休日手当が払われていた。基本毎日365日稼働する工場の為、日曜日も祝日も仕事はあった。この法定休日手当を労基法通り「4週4日の法定休日」として、休日の振替によってすべての手当を削除する大きな不利益変更だった。すでに20年から週4日労働に制限され、残業も1日2時間以内になり手取りは確実に3万~4万円月に減少していた。これ以上の賃金カットは我慢ならない、公的機関に訴えよう、と分会内、支部内と議論が続く。しかも3月29日に提案し、3日後の4月1日から実施するというあくどいやり方で、不利益変更の理由、提案主旨、これを実施しないと経営に重大な影響をおよぼすのかどうか、一切の説明がないばかりか提案するための用紙さえ組合に提示しないでいた。つまり不誠実団交そのものだった。形だけ団交に応じているように見せかけ、その実中身は何もなく、その場で再考を促しても決定権のない取締役でもない総務部長だった。
分会は9月埼玉地方労働委員会に斡旋申請した。公益委員に県の元生活安全部長、経営側委員、労働者側委員は県連合会長が就いた。斡旋内容は「正常な労使関係、2014年から16年までの有給カットによる賃金の支払い、すでに4月実施の法定休日手当カットによる賃金の支払い」であった。委員会室で分会は3月29日の回答団交席上3日後に法定休日手当カット強行など、労使関係が正常でない証拠」と具体的に斡旋員3名に述べた。ところが会社は「分会は会社秘である文書をビラに書いて、久喜駅で無差別にまくので分会に文書の提示ができない」とその理由を述べる。労働組合法で団交は公開が原則だし、組合がどこで、何を書こうが表現の自由が憲法で保障されている。この国は北朝鮮や中国でなく、表現の自由が保障された日本国内だ、そんなことより3日後に不利益変更がまかり通る労使関係こそ異常です、と訴えた。労働委員会からは「手当のカットをこの場で賃金として還元させるのは斡旋にそぐわないので、正常な労使関係1本に絞りましょう」と説得され、正常な労使関係に斡旋事項は絞られた。特別なことは何もなかった。会社が新たに提案する労働条件の変更の際は、事前に組合に資料を含む提案書を提示して十分討議できる時間的余裕を持ち、不利益変更にならないように配慮すること、であり会社の主張する久喜駅で無差別にビラを撒いているので止めてほしい、は当然却下された。しかし労働条件変更の際、事前に文書も示し十分討議できるように団交で詰めることに会社は異常に拘った。正常な労使関係の構築だけが斡旋事項に絞り込んでその日に斡旋成立でこの案件は終わるはずだったが、地労委から用意された「合意書」の一言一句について、いちいち本社の上司に許可をもらわなければ返事ができない。この日は5時間もかかり、結局次回まで持ち越した。委員会室で公益委員は「団体交渉はこの場で決定できる、返事のできる人物が出席しなければなりません。次回必ず出席させるように」会社にくぎを刺された。いちいち本社に伺いを立てて、文書を完成させて時間ばかり費やすことへの怒り、いら立ちが公益委員に表れていた。11月29日第2回斡旋が開かれ2時間半、合計7時間半を費やし「合意書」が出来上がり、労使の代表が署名捺印をした。詳細は口外しない前提なので、詳しく書かないが、斡旋委員になった3名は「労使交渉、団交を知らない。団交を舐め切っている」との会社を非難する言葉だけは何度か出された。
大日本印刷本社総務部は、2023年夏一時金回答書で北島義斉社長名の回答書を初めて分会に手交。
◆ 2022年秋年末闘争はインフレ手当、月1万円を給料に上乗せして当面インフレが落ち着くまでの間支給することを初めて求めた。しかし結果はゼロ回答だった。代わりに会社からは「精勤手当を廃止し、基本給に組み入れる提案」があった。月に18日出勤して15000円の精勤手当が支給されるが、これを廃止する。手当を廃止し基本給に組み入れる提案は、労働界が長年取り組んできた最低賃金のアップと関係がある。すでに見てきたように定期昇給といっても1時間B評価で10円しか上がらない。国の最低賃金はアベノミクスと言われた官製春闘ともあいまって30円、40円と上がってきている。もちろんそれでも先進国では過去30年間賃金が上がらない最低賃金の日本のレッテルを張られている。だから会社の「職務レベル」「昇給テーブル」表では、国の最低賃金の上昇に追い付かないため改定の必要が出た。そして廃止する代わりに基本給に上乗せをする、というものだ。結局2021年、22年の精勤手当支給実績を調査し、その平均額を算出し不利益にならないように基本給に上乗せをした。この結果組合員の基本給は1140円になった。
手当のある方が良いとの意見もあったが、基本給を上げないで手当てを支給してきた日本の賃金体系の弱さがあるので、基本は基本給のアップが望ましい。
2023年猛烈なインフレが日本全土を襲う。円安の為輸入する原油は値上がり続け、ガソリンは1リッター185円、電気、ガス代と続き、多くを輸入に頼る加工食品は原料高で軒並み値上がりが続く。23春闘は賃上げ1500円、夏一時金一律30万円を求め要求書を提出した。3月28日ははじめて久喜工場前でハンドマイクを使い団交で初めて定期昇給10円とベースアップ30円の合計40円が勝ち取れたことを報告した。またこの回答では不満であるとして再考団交を求め、同じ県内蕨工場前で宣伝をした。
実は2018年久喜工場で会社と交渉した内容は全国の非正規労働者に波及することを団交で確認してから全印総連は、春闘、秋闘時に全国で主要な工場・事業所前で一斉に宣伝することを提案し実施していた。この年の宣伝で特徴的なことは地域労組と連携し共同で取り組んだことだった。凸版印刷板橋工場には板橋労連が、大日本印刷蕨工場に川口蕨労連、上福岡工場に埼労連と入間労連、後楽園駅では文京区労連がそれぞれ参加した。
宣伝活動の効果は抜群だった、何せ団交結果――定期昇給10円とベースアップ30円が初めて非正規労働者に支給されることが決まり――の宣伝であり、全印総連・大日本印刷分会が宣伝し告知しなければ誰も教えないし会社が周知することはないからだ。久喜駅西口から送迎バスに乗り、20から30分揺られて工場に到着すると、分会の宣伝があり、ハンドマイクで賃上げの状況が伝えられる。これは画期的なことだった。夜勤終了後に送迎バスを待っていた労働者がわざわざ裏門まで来て、書いてある看板をじっと見る。「本当に40円も上がるのか」との声や、社員から「ところで社員の賃上げはどうなっている」との声があったのには驚かされた。
約70名が送迎バスを使わず、会社外の駐車場に車を停め歩いてくる。当然社員も非正規労働者も交じっている。その中で40枚を労働者は受け取って会社内に入っていった。団交に会社はなおも抵抗していた。例えば春闘の回答書を組合に渡さず、パワーポイントを使いスクリーンに投影して説明するが、肝心の紙は渡さない。分会はここでブチ切れた。すでに埼玉地労委斡旋合意書労使署名捺印から1年半が経過し、労使対等平等原則から言えば、本社総務部の内部文書の説明では納得できない。社長名の文書に押印した文書で回答書も手交しない、単なる総務部の文書など受けてれもしないではないか。それほど社長名の回答書を出せないなら地労使合意文書をビラにして無差別にまく、団交も行った言わないを防止するためデジタル録音機を労使双方で使いましょう、と抗議し私はカバンから録音機を出して机の上に置いた。またパワーポイントに投影された文書は、会館でコピー機を借りて紙に印刷して手交するよう強く迫った。約30分の間『文書を出す、出さない』でもめて、ようやく会社はコピーした文書を手交する。
しかしあくまで文書は大日本印刷株式会社北島義斉社長のものではない。社長名を出さない事が、社長を守ることになると錯覚しているのだ。しかし社長に来た要求書に社長名で回答できないということは、社会常識に欠けている。そんな社会的常識も理解できない北島社長との烙印を押すことになる事を理解できない総務部の姿だった。ちなみに地労委の合意書は、北島社長の委任を受けた本社総務部部長が、代理で署名して完成させたものである。
無駄な抵抗を続け労使対等平等の労働組合法すら理解できない大日本印刷本社総務部は、この後夏一時金回答書で北島義斉社長名の回答書を初めて分会に手交した。実に全印総連の個人加盟組合に加入して団交を開催してから満7年を擁した。取締役が団交に出席しない、定期昇給制度導入時に分会から労使合意したのだから定期昇給表を『労使協定』することを提案してもいまだ協定化に至らず不当労働行為は続いている。
大企業経営者は、労働組合が戦後結成された時から組合弾圧を続け「分裂第2組合」攻撃、あるいは労働者同士の対決に見せかけた『インフォーマル組織による執行部乗っ取り』を続けてきた。
労働組合との団体交渉など出席する必要がないご用組合育成の結果、組合との議論も避けてきている。だから正常な労使関係など等の昔に忘れている。大日本印刷株式会社は、凸版印刷と並び日本国内の印刷業で2大メーカーであり、世界の印刷会社でも売り上げ1兆円を超える大企業だが、労使関係とりわけ労働組合法を順守するという社会常識は欠如している。印刷関連ユニオン・大日本印刷分会が労働組合法など労働六法を大日本印刷株式会社全体に浸透させるため教育している最中である。
編集人:飯島信吾
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編集 2024年01月01日
UP 2024年01月01日