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(「音楽人通信」1995年10月号)

三題ばなし、核・基地・補償

 フランスと中国の核実験強行に対する抗議の声は、いままでとちがって、粘り強く、世界中に広がって、続いている。当然この抗議は、実験反対だけでなく核兵器それ自体への反対に連なる。
 一方、沖縄駐留米兵の暴行事件は、在日米軍の地位協定の改定という問題を提起した。それは、日米安保条約自体への疑問、とくに沖縄をはじめとする膨大な米軍基地の存在について、あらためて人々の注意を喚起した。
 この二つ、核実験抗議と、日米安保条約の問題は、深く関連している。すなわち、広島長崎の被爆体験をもつ日本人の、核実験反対という感情はたやすく理解されそうだが、しかし日米安保条約のもとで現にアメリカの現在実験はおこなっていないが、フランスや中国など比較にならぬほど世界一の核爆弾保有国であるアメリカの――核の傘にスッポリおさまっている日本の抗議は、説得力がないという批判がある。
 そしてこの二つは、第三の、日本軍戦地慰安婦補償問題や国会の戦後五十年決議の不徹底さとも連なってくる。なるほど、沖縄での米兵の仕業はひどい。しかし、アジアの人々はこう言うだろう、五十年まえの戦争で、日本兵は同様のひどいことを、もっと大量にやった。しかも、米軍指令官はただちに謝罪したが、日本の政府は、戦後五十年間、ただの一度も、心から謝罪したことはない、と。
 政治の話は嫌いな音楽人たちだが、人間の、したがって音楽の問題としても、これら三つのことは深く考え抜かねばなるまい。