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(「音楽人通信」1996年3月号)

一年たって

 あれから、一年たった。あれ、というのは阪神淡路大震災のことだ。マスコミのおかげで、想像をこえる大災害を全国の人々が目のあたりにして衝撃を受けてから一年たち、そのマスコミもとりあげようとせず、人々は忘れ去ってしまったかのように見える。
 しかし、音楽家たちは、身近な大阪でも、遠く離れた東京でも、チャリティーコンサートを企画して、被災した人たちを励まそうとしている。
 出演するある指揮者は、ラジオのインタビューにこたえて、「被災者にいくら援助金をさしあげられるか、ということより、私たちはみなさんの事を忘れていないよ、という声が届くことが、大事なのでは」と語っていた。
 今度の震災は思いもかけぬ大災害だったが、しかしまた、いつか、どこかで、だれかに、想像もできなかった惨事が降りかかるのも、自然と社会の当然の生理なのだ。
 とくに高度に発達した産業社会だからその被害は大きく、人々の心に受ける傷も深くなる。人々が互いに思いを馳せ、声を懸けあい、何か自分にできることを探して支えあうことが必要なのだ。それも、今の社会に見合った、高度な、複雑な、精緻なそして重層的な仕方で。
 音楽は、そのための有効な手段となりうることを、参加した仲間たちは示している。