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(「音楽人通信」1999年4月号)

 或いは華。いま椿が、春の訪れを待ちかねたかのように、豪華に咲き誇っている。紅、白、まだら。一重、八重。
 その向こうに、凛として香り高く、梅。椿が華麗なら、梅は高雅。また片隅をみると、黄色い水仙。これは可憐。
 大都会の貧しい一隅にも春はやってきたが、今見える花は、これだけ。しかし、かれらは晴れぬ心を慰めてくれる。
 愛でずにいられぬものを、美という。花も、音楽も、同じ。ただし、音楽は徹頭徹尾人間の意識的造物だが、花は違う。花卉園芸家をはじめ、花造りに励む人も多いが、花の主役は何といっても自然だ。
 だから、花は、いつも優しい。花は受動的だから。ただただ滅入っているような時は、花に慰めてもらおう。病気のお見舞いに花が圧倒的に多いのも、そのためだろう。しかし、花はそこまで。例えていえば、花は病を慰めはするが、治しはしない。
 音楽は、いつでも人に優しいわけではない。厳しいことすらある。しかし真正面から立ち向かい没入する人を、救い、高め、変える。し、慰め、勇気を与える。
 いささか萎えているときは花に見入ってから、音楽に浸ればいいのかな。いずれにしても春の訪れとともに、花も、音楽も、絢爛と咲き誇ってほしい。