(「音楽人通信」1999年11月号)
「国歌」再説
想像以上のことが起こっている。「国旗、国歌を愛せない人は日本国籍を返上しろ」と公言した知事に続いて、秋場所で優勝した武蔵丸に、NHKがインタビューで、「この次は君が代を歌って下さい」と言った。「忌野清四郎」の君が代の発表をレコード会社が拒否した。
「君が代」が侵略戦争と深く関わったからと嫌悪を表す人々に対して「君が代」遵奉者は、どこの国歌も汚辱の歴史にまみれている、と反論する。確かにアメリカの星条旗と国歌はべトナム戦争の推進にも使われただろう。しかし、三〇年前のウッドストック、ベトナム反戦音楽祭における、ジミー・ヘンドリックスの「星条旗よ永遠なれ」の演奏は、人間の独立と自由の尊重を理想として掲げた。「旗と歌」が、その時ベトナムにおいて、いかに汚され、踏みにじられ、ズタズタにされているかを一身をもって表現して、「アメリカ独立宣言」の基本に立ち返ることを、見事に訴え、伝説的名演といわれた。
フランス国歌についていえば、戦後もアルジェリアなどで民衆抑圧のシンボルとなったのは確かだ。しかし三色旗とともにあの根底にあるのは、自由、平等、連帯というフランス大革命の精神だ。だから、保守の政府の暴挙に対して、左翼野党議員が抗議の意志を込めて議会でラ・マルセイエーズをうたう。
わが忌野は、「君が代」を苦渋を込めて、吐き捨てるかのように歌うが、その陰から、日本民衆のやさしい心根が踏みにじられてきた悲しみがつと現われては消えるようでもあった。いずれにせよ、歌の関わった歴史を打ち消すことはできない。