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(「音楽人通信」2000年2月号)

初富士

 正月が過ぎた。新ミレニアム―二千年紀に、コンピュータのデータ問題が重なって年末は騒がしかったが、なにか空しさが裏に貼りついているようだった。
 そのせいか、この正月は静かだった――ただ晴れわたる毎日が続くばかり。
 もっとも羽根つく音もなければ、凧上げる姿も見えないのは、もうここ数十年の習いとなった。門松をたて、注連縄、柑橘を飾る玄関も少なければ、さすがに日章旗を揚げる家も目につかない。
 年が改まるといっても、天体の進行は常のとおりで、もともとどこを新年と定めようもない。ましてや基督紀元二千年といってみても、何の根拠もなく、不正確な言い伝えがいまや世界的に広がったのにすぎない。もちろんこんなことは誰でも知っている。
 にもかかわらずこれだけ長い歳月にわたって、しかも洋の東西を問わず、年越しだの世紀の初めだのという習慣が続いているのには、理由(わけ)がある。
 自然の純粋な運行とは全く縁のない、人間の生業(なりわい)、諸事万端の悲しみと喜びとが、ただ無表情な自然の歩みに、人間の刻印をきざませている。古い不運・愚行は古い年とともに飛び去って、新しい年には、少なくともまともに日を送れる新たな可能性だけでもやってくるということにしてもらわなければ、とてもこの世を生きられません。
 そう思って西の方を見やれば、夕陽を浴びた富士が整った稜線を逆光で縁取って屹立し、爽やかに衆生の悩みを祓い清めてくれるようにも見える。
  初富士の  去年(こぞ)の水とも  別れけり