(「音楽人通信」2000年11月号)
聖オリンピック
二十世紀最後のシドニーオリンピックは二十一世紀の人類の課題を先取りしているように見えた。
第一に、女性の活躍。これは、説明の要もない、特に日本では。
ついで、環境との共生。例えば、選手村は、世界最大の太陽発電村で、リサイクルされた再利用水を使い、食堂のスプーン、フォークも木製で、使いまわしの後、最後は土に戻る。
第三は、民族の和解、融和。朝鮮半島旗を掲げた朝鮮韓国両選手団の統一入場行進は、会場を埋め尽くした観衆を総立ちにさせたし、地元オーストラリアでは、少数先住民族アボリジニーの女性ランナーが聖火リレーのトリをつとめ、四百米陸上で優勝して、多数派の移民白人住民もわが事のように喝を送った。
戦争に彩られ、自然を破壊した男の二十世紀から、平和と環境を尊ぶ、女の二十一世紀へ、という明確なメッセージが全世界に送られたのだ。
ところで、開会式と閉会式を見れば、この大がかりなスポーツの祭典も、音楽がなければ始められず、幕もおろせないのだな、とわかる。競技場の式典だけでなく、大会期間中ロックやクラシックのコンサートがいろいろ行われ、ストリート・ミュージシャンもいつもの何倍も街角にでたという。
しかも、民族や性による差別を克服し、自然との共生を喜び、平和を求める点では、音楽の方が先を行っている。そもそも、スポーツとちがって音楽は順位やメダルを争うことが本来の在り方ではないしね。反核や平和を求めるコンサートもたくさんある。ただ残念乍らオリンピックほどの影響力を持つ世界的な催しになっていない。誰か天才的なプロデューサーが出現して、音楽のオリンピックを企画してくれないかな。