| 目次 | フレーム目次 |印刷用PDFへ |

1982年 東京電力差別撤廃闘争支援する会での講演

日本的風土に「統一」の思想をどう実らせるか

「統一」そこに勝利あり
 東京争議団の二十年の歴史をふりかえってその教訓を一言で言えば「統一そこに勝利がある」ということでいいのではないかと思っています。このことばは一九六一年の日炭高松闘争の中心スローガンで、当時、同名のパンフレットが出されています。統一が「大事だ」などということは、わざわざ言わなくてもわかっているようなことですが、ほんとうに統一の力で勝利できるんだということを、いろんな争議に適応して、具体的に統一の路線というものが確立したのは、六O年代後半のことではないかという気がします。
 東京争議団の結成当初というのは、「使命感」とか「孤立感」とか、いろいろな特徴がありますが、「革命的労働運動」とでも言いますか、あるいは「政治的変革の課題とかたく結びついた運動をすすめる立場」といいますか――そういう立場に立つ人間がしばしば争議でやられるのだという感じがありました。まわりもあまり支援してくれるわけでもないし、闘争は困難だし、その理由というのは思想的なものがあるんだという考え方をしていました。政治的主張が理由で首切られているわけだから、従って自分たちの政治問題についての考え方や路線をかなり強調して闘うという傾向が、自然に生まれてくるわけです。立場や思想を重視する運動で、後に「ド根性路線」といわれました。「根性をもって最後までガンバロー」ということですが、「最後まで」といっても、勝利の具体的展望などないわけで、闘争が勝つ前に世の中変わるんじゃないかと思っていたりしていた頃のことです。
 そうして悪戦苦闘するうちに、だいぶひどい目にも会って、反省しないともう一歩も進めないというところで、たどりついたのはまず「立場」や「思想」ではなくて「要求」で闘おうということでした。これで色々な成果は上がったんですが、しかしどうすれば勝利が見えてくるのかというのはまだわからないわけです。今までは「立場」や「思想」を理解してくれる人をふやすということだったのが、今度は「要求」で、一致できる人をふやすということに変わっても、端的に言えば「話をして理解してもらう」というやり方は同じわけです。
 要求に根ざしていきいきしてきたが、闘いは進まないというところで、もう一つステップを踏みます。それは「要求にもとづく統一」という立場から、「行動の統一」を先行させる立場に移行したという事だと考えていますが、ここで「統一――そこに勝利がある」という立場が原理的には確立したと思います。一九六七年頃です。
 そのきっかけは一九六六年の一〇・二一ベトナム反戦統一ストの成功をまのあたりに見たということでした。この統一ストで実際に反戦ストに立ちあがったのはごくわずかなんです。しかし、指導部は、そこに公務負の賃金闘争や炭労の合理化反対闘争等々をうまく合わせていった。まちまちの要求をかかげながら、ストライキという行動は統一している。しかもベトナム反戦というところではそれぞれみんな反対ではないということです。そういう、単純でない要求の組み合わせと、その下での――それが可能にした行動の統一といいますか、この統一の力の大きさを見せつけられました。
 東京争議団はここから学んで、「行動の統一」をいろいろな形で前進させるわけです。最初は集会、デモ、そして次に統一ストとなっていきます。統一ストといっても、初めから争議支援の統一ストはできない。それで迂回して、まず争議団自身の要求は一歩下げて、春闘なら春闘の賃上げ闘争で、産別なり地域の統一ストを打てるように努力をする。つまり下働きのオルグみたいにかけずりまわるんです。そうするうち何年かして争議支援の統一ストができるようになります。こういう中で六〇年代の末から、本格的な勝利が続きます。

「統一」の理解を深めた総行動
 七〇年代に入ると、資本の攻撃の質も少し変わってきて、やっかいな大きな争議が発生しますが、「東京総行動」が生み出されて、六〇年代から見れば想像を絶する勝利が次々とあらわれました――報知とか大映とか。七〇年代も後半になると総行動は色々に分化・発展していって、そんな中でまた新しい水準の勝利があいつぎます。東電の山本君の職場復帰――あのときはたたただ驚いた。続いて三菱樹脂の高野君。最高裁敗訴の後に完全勝利で職場復婦するわけですがら。六〇年代後半には裁判に勝っても職場にもどれない」ということが各争議共通の問題だったわけです。七〇年代のとくに後半は、司法反動で敗訴が増えるわけですが、その中で次々職場に戻っていくわけですね。これはやはり「総行動」の力だと思いますね。で職場に戻るというのが、いわゆる独占大企業の職場にどんどん戻っていくわけです。
 その後、そういう大企業の職場の、賃金差別の問題が争議団の中でとりあげられていくわけです。とくにニチモウキグナスが争議団共闘に参加したのは画期的ですね。分裂していて差別は多少あるものの、解雇者をかかえているわけでもなく、単産もついている普通の組合であって、春闘かなんかで闘っていれば何とかなるというのが従来の常識的な発想だったんですが、それを超えたんですね。東京争議団に入ってきて、背景資本を含めた資本に対する社会的包囲という路線を、「争議団」でもないような組合が明確にとり始めたわけです。つまり東京争議団のような闘い方――行動の統一を何よりも大事にしていくそういう運動の提起をいわば「普通の職場の労働組合」が捉えたということだろうと思います。
 で、これがまた新しい教訓を生み出し、その後、東電、日航等々、賃金差別の問題で東京争議団に入ってくるところがふえている。
 以上のような概観になりますが、今話したような最近の動きを見ていると、東京争議団共闘の運動自体が、過去二十年近い間と今後とでは、大きく質的に変わるのではないかという感じがします。一言でいって、大企業の問題が争議の中心にすわってきていて、従って、日常的な職場での闘いが、東京争議団の主要な課題になってきているんですね。だから「争議」という概念もすでに変わったことになるんだし、東京争議団共闘の運動も変わったし、従って東京争議団共闘の運動が日本の労働運動の中でもつ意味も変わってきた――変わりつつあると思うんです。特殊的なものから、より一般的なものになりつつあるという感じがします。
 ここで「統一――そこに勝利がある」の話に戻します。東京争議団は「統一路線」とか「攻勢的統一路線」という言い方をしていますが、これまで経験し、勝利してきた争議の様々な形態、例えば「ひとり争議」とか「倒産争議」とか――に適応した「統一路線」の具体的内容は、それまでに明らかにされてきています。これとこれをやれば勝てるということになっていて、実際勝つわけです。東京争議団は「決着がついた」という言い方をしますが、例えば「倒産争議」について言えば七八年頃にはすでに決着がついていました。大企業の問題はというと、全く今後の問題です。従って大企業争議の勝利の展望について何か具体的に話すということはまだできません。実際に勝っていってもらうことによってしか、これはわからないわけです。ですから私がお話しできるのは、統一の問題について初歩的で原理的なことを日本の労働運動のこれまでの試行錯誤にからめてお話しする程度のことです。

まちがいだらけの「統一」理解
 「統一」ということについて、日本の労働組合運動の中では、まちがいの連続なんですね。この言葉は様々に――労戦統一とか、統一戦線とか、統一労組懇とか――よく使われますが、必ずしもはっきりしていない。堀江正規さんという経済学者がいましたが、「労働組合運動の理諭」という双書の編集を終えたあと、ポツリと「我々の活動家が統一ということをいかに知らないかということがわかった」といっていました。「統一」なんてわかりきったようなことだけど、あらためて考えてみる必要があるだろうと、いわゆる「大企業問題」を考える上でも一番大事なところだという気がするんです。
 言葉の意味あいから入っていきますと、「統一」の「統」は「すべる」という字です。これは「スバル」という古語からきていて、もとは「しばる」という意味でしょう。バラバラの棒を例えば矢来(あらく組んだ垣根)にすると、十文字になったところで縛られてまとまっている。そういうふうに一点でまとまるということで、「同一」ということとは違うんですね。「統一」というのは、もともと異なるものが、異なる個々を前提にして、ある点で一致してまとまっていると、こういう弁証法的な概念ですね。
 こんなことは、あたりまえのことのようですが、しばしば混乱しています。
 労働組合運動についてみると、「統一こそが世界労連の目標であるということを私たちは隠さない」というのは第三回世界労連大会(一九五三年)で、ルイ・サイアンという当時の書記長が言った言葉です。労働組合の目的は統一の達成だと言うんですね。ただひとつあげるなら、社会変革でもなければ賃金の改良的向上でもなく、統一であると――。国際的には「統一」ということについて一九五三年以来そういうことになっているわけです。私たちの先輩の労働組合運動家はそんなことは知っていたはずなんですね。日本から、第三回世界労連大会にはひとりも行っていませんが、第四回と第五回には何十人と行っています。しかし「こんなに統一ということが重視されて言われるとは思わなかった」という感想文もいっぱい残ってるんです。しかしあとでお話しするように、結局日本の運動には根づいてこなかったというのが、我々の「統一」の歴史なんですね。
 それから『ひとつの普遍の原則』というのがありまして、「労働者とその労働組合の統一行動は必ず労働組合の組織的統一を生み出す」という内容なんです。統一行動が組織統一をもたらす――その逆ではないと言いきっていますね。
 こういうことになっていたんですが、六一年の第五回大会以来「統一」について論争が起こったようです。統一の路線が四つぐらい出ます。
 一つは中国の路線。これは当初の東京争議団の路線に似ています。「帝国主義の植民地的収奪に反対する「統一」。敵を明らかにして統一するということですね。
 二番目はソ連。「一連の行動綱領を基礎にして統一する」。日本に今でもありそうですね。「行動綱領」というのは要求項目のことです。「賃金上げろ」とか色々並べてある。
 三番目のフランスは、先ほどのルイ=サイアンですが、「行動の統一の為にはただひとつの要求でもよい。必ずしも世界労連が掲げている要求と合致しなくてもよい」。要求をもとにした統一戦線ではなくて、統一行動を可能にする要求の探求という設定です。四番目のイタリアもだいたい同じですが、もう少し大胆で、「完全に要求で一致できなくてもよい」――異なる要求の結合による行動の統一ということになります。
 この論争のはじまった第五回大会で確認された統一の原則ですが、これは一九五七年の第四回大会で提起されたものが再確認されたもので、三点あります。
 第一点が「相互尊重」と「労働組合の国内問題や職業別組合の問題に干渉しないこと」。
 第二点は、「労働者が統一できる問題を探すこと」。
 第三点は、「共通の目標やスローガンを打ち出し、意見の一致しない点は自発的にとり除くこと」というんです。「自発的に――」というのが大事なんですね。今、違うところばかりを誇らしげにつきつけるという感じの「統一路線」の方がはやっていませんか? 一致しないとわがっているヤツは最初からとり除くべきなんです。統一をほんとうに求めるならば――。
 今、日本では「要求にもとづく行動の統一」、「資本からの独立」、「政党からの独立」というのが国際的に試された労戦統一の三原則だという声もありますが、ちょっと角度が違うようです。「政党からの独立」というのは国際的に一致できないです。あの「連帯」ですら共産党の指導的云々を認めて、ようやく合法化されたわけです。政党からの独立を主張する組合もあるから、一致できない。従って「自発的に取り除き」、「従属を前提にしない」といった方がよいわけです。これは実質的には独立に等しいようなものだけど「政党からの独立を前提にして統一」というのとはちがうんですね。
 世界労連の統一の原則は以上のようなわけなんですが、日本の歴史的経過をみますと、例えば産別会議というのがありました。一九五八年にこの産別会議が解散した後に『産別会議小史』という総括が出ています。それにこんなことが書いてあり
 ます。一九五三年に世界労連のジャック=ウォーリスという人が来て日本の労働運動にひとつの「転機」をもたらしたというんです。どういう転機かというと、「統一の何たるかを初めて知らされた」と書いてあるんです。「今まで我々が口にしてきた『統一』はセクト主義そのものであった。従来ことさらに不一致点を強調し、相手幹部を誹謗することによって統一が達成されると考えられ、実践されてきたが、ジャック=ウォーリスは世界労連の統一とは不一致点はさしおいても、一つでも二つでも一致する面があったら、それで統一行動を進めることであった」。当時産別会議は総同盟との「無条件統一」を唱えたんですね。このことについて『小史』には「無条件統一というのは『闘う統一』という条件が実はひそんでいた」と書かれているんです。その『闘う』というのも、きわめて狭いもので、共通の目標をもって共通の敵に迫るというよりも、産別の方針の下で強い闘いをするという意味でしかなかったと、「それに反対する意見は反動あるいは御用組合として排除された」と総括しているわけです。
 産別会議がこう総括して、その後そういうことがなくながったかというとそうでもないんです。例えば、一九六七年に全印総連細川活版労組が『要求こそ力』という題のパンフレットを出しています。その表紙に「全印総運東京地連第二二回定期大会運動方針より」とただし書きのついた「統一の三原則」というのがのっています。第ニニ回大会は一九六七年に開かれているんです。全印総連は御存知のように戦闘的で理論的にすぐれた組合で、しかも半分は産別会議に最後まで残ったんですね。
 「統一の三原則。一、労働者の切実な要求に基づいて団緒する。二、不一致点は粘り強く話し合い、一致点で行動を進めるが、原則上の問題で妥協したり追随したりしてはならない。三、分裂主義者とは断固として闘うが、この闘いを重視するあまり労働者の切実な要求に基づく団結と統一行動を弱めてはならない」。
 この当時の全印総連の幹部は、さきほどの世界労連の統一の三原則が再度確認された第五回世界労組会議に出席しているんですよ。世界労連の三原則には相反したことも出しているわけです。全印総運は、世界労連に反対している意識はまったくないにもかかわらず、自然に逆の立場に移ってしまっているわけです。全印総連のことをあれこれと言うのが私の意図ではありません。日本の労働運動の中で「統一」というものを進める場合に、どうしても「日本的条件」というものを十分考えないといけないのではないかと思いますね。しかしこれは直接には労働組合の問題ではなくなるわけで、歴史とか社会とかいうことになるわけですね。そうなるんで大変なんですが、しかしここに入っていかないと話が進まないと思うんです。

統一を困難にする日本的風土
 われわれの風土というものは、なかなか統一が進みにくいジメジメとしたものがあるわけですね。
 農村では旧来の生産関係が破壊されて、貨幣経済が支配するようになったでしょう。一九五〇年頃まで日本の農村というのはかなり自給自足型たったのが、マッカーサーの農地改革が実を結んだこともあり、五五年から始まる高度成長の中で、急激に変貌を遂げて、その後は専業農家は少なくなり、しかも農業以外の収人の方が多い「二種兼業」というのが中心になってきたわけです。そういうところで、農村の「部落」というのが――部落的共同体のあり方がかなり変わってきてますよね。それで農村では「村八分」など成立しにくくなっている。ところが、その「部落」が大企業の職場にひっこしてきたようなところがあって、大都会の大工場で「村八分」が成立しているわけです。
 こういうことが、統一を進めるのに困難な日本的条件をつくっている。しかし、基本の生産力は変わってきてるわけだから、このような条件はなくなるはずなんですが、なかなか根強く残っているし、資本の側は温存しようとしていますし――ここは大事な問題だと思うんです。
 革命というのは政治権力の問題が中心であると言われてますけど、実際には社会革命であって、その頂点に政治革命があるわけですが、社会革命というのは、こういうことが変わることを言うんでしょうね。生産組織を含めて社会組織が変わらなければいかんわけですから――。そういう意味では現状はなかなかシンドイところにあるような気がしますね。
 資本の側は、こういうことを明確に捉えています。昨年の三月に経済同友会が『日本型成熟社会の構築をめざして――モーレツ型から多面型へ』という提言を出していますが、その中でこういう事を言っています。まあ、低成長にならざるを得ないから人件費コストは下げざるを得ないと、しかし「終身雇用という基本は維持しながら、能力、資格、希望など……」で能力主義に移行するというわけです。「多面型」とはひとつにはそういうことで、「能力、資格、希望」による多様化――我々に言わせれば差別ですね――という能力主義に移行するというわけです。ここで大事なのはその根底にしかし「終身雇用という基本は維持しながら」――実際には当然一部の人にのみそうするということでしょうが――というところなんですね。それはなぜかというと、こういうことを言ってます。「日本人は集団としての合意が優先される傾向が強く、個人の自己実現は常に所属する集団の存続を前提にした上で求められる」と。だからあくまで「終身雇用という基本は維持しながら」やるというのですね。
 この種のことはわれわれの陣営ではほとんど言われないんですね。つまり味方の労働者の弱点を明確に見据えないということだろうと思うんです。政党でも労働組合でも、情勢分析は常に「危機」が迫っていて、「展望」は間近に開ける――というスタイルですね。研究者でもよくありますね。「ますます資本の搾取は進み……必ずや労働者階級はその歴史的使命に目覚め」云々というわけです。大企業分析の論文がそんな文句で結ばれていたりする。しかし、そんなことはなくて、指導が良くなくては、すぐに良い方に変わるなんてことはないんですね。
 でなければファシズムなど起こるはずがない。ファシズムの原因のひとつは大衆の貧困ですよね。後進資本主義の中で、抑圧される階級の貧困と、正にほんとうの意味での展望のなさがファシズムの温床となるわけですね。そういうところで大衆が自発的積極的に動いてはじめてファシズムというのは成り立つんですね。そのファシズムになる時もあるし逆になると時もある。それを左右するのは、指導部隊の主体的力量を含めた歴史的諸条件でして、窮乏化が進んで必ず正しい方向に立ち上がるということはありえませんよね。
 ですから問題はやはり、現実は正確に認識するということだと思うんです。具体的に運動を進めるについては、つぶさに、労働者のおかれた状態について熟知して、ぼくらが職場で統一というものを考える場合にも、それを前提にしなくてはいけないということです。
 そういう意昧で、さきに言った我々の困難――部落型の小集団同盟的制度が職場の中に持ち込まれており、それが必然のように我々の中に息づいているというような条件というのは、決して見のがしてはいけないだろうと思うんです。
 それは、大企業の職場で、例えば「村八分」にされている側の、いわゆる活動家の中にさえあるんですね。それを温存する体制として、向こうもちゃんと、終身雇用制と企業内昇進制度を前提にした年功序列型賃金等々をつくっているわけだから――。こういう物質的基盤があるわけだから、現在の生産力の水準にはふさわしくない「村八分」を可能にするような部落的小集団が生存可能なんですね。ですから我々としては、そういう具体的支柱に支えられ、しかも日本の社会の伝統に根ざした企業内従業員組合主義というものと、どうしてもぶつからざるを得ないということになるんですね。このことを前提にして、どう運動を進めるかということを考える必要があるんだと思います。

「転向」にみる日本的特質
 その日本的特質ということでひとつだけ象徴的なことを紹介します。
 これは極端な話ですが、単純に言うと、例えば進歩的な人が裏切って逆の方へ行ったとする――「転向」とが「転落」とか――。その場合、ヨーロッパ人というのはだいたい「悪魔」になるという意識をもつと思うんです。日本人は逆に「善人」になるんです。裏切って申しわけないというのもあるけど、同時にそれ以上に、本来の自分の姿に戻ったという、生ぬるい感じがあるんです。
 例えば、高村光太郎という人がいますが、詩人で、彫刻家で、若干は進歩的な思想にもふれているし、西欧の色々なものも知っているわけですが、戦争が始まると突然右に行くわけです。戦争賛歌なんかたくさん書く。で、戦後になるとこれをまた自己批判して『暗愚小伝』というのを書いています。その一節にこういうところがあるんです。これは戦争が始まって自分が突然右へ行った時のことを書いているんです。「昨日は遠い昔となり、昔は今となった。天皇危うし――ただその一言が私の一切を決定した。父が、母が、そこにいた。少年の日の家の雲霧が部屋一杯にたちこめた。私の耳は先祖の声で満たされ、『陛下が、陛下が』と喘ぐ意識が目眩めいた」――こういうふうに転向するんですよ。祖先に帰るんですね。こういう心理状態は多分今でもあるんだと思うんです。それは我々中に、天皇を頂点にした、そして家族を最底辺とした社会制度が今だに根強く息づいているということです。
 転向という現象の中にはこういう性質が多かれ少なかれ共通にあるものです。たから、いじめられて、良心はとがめるけれども、経済的にも苦しいから転向した。という単純なもんじゃないと思うんですね。そこのところはかなり冷酷に見て、考えていかないと、我々はいつまでたっても少数でいるということになりはしないかと思うわけです。

日本的風土の中で「行動の統一」をつくる

 考えるといっても、じゃあどうすればいいのかということですが、ひとつは、さっきも言ったようにヨーロッパの先進の経験に学ぶということでしようね。ここまでは今までの争議の経験でもわかります。ただそれだけでは我々は勝てないということです。
 日本的風土の特質を、初歩的な段階では、どう利用するかということですね。これを無視しては労働組合運動は成り立たないですよね。現在主流としての労働組合運動をやっている左派にしても、何もむずかしい理論で大衆を団結させてひっぱっているわけじゃないですからね。「まあともかくいっしょだから」とか、「オー、かあちゃんどうしてる?」とかね、そういうことが必要なんですね。大事なんです。それはそれで我々は意識して戦術的に使うというのがひとつの問題。
 それから、そこをもうひとつ超えて戦略的にプラスに転化する道を考えないと、勝負には勝たないと思うんです。資本の方もそこは苦労してやってるわけですからね。だいたい終身雇用制というのは、単純に計算すれば資本にとっても不合理になっているわけです。しかしヨーロッパ型にしてはまずいということで、終身雇用を維持しながら、職安法など改悪して、一部のエリート――とでも言うのか――だけ正社員として終身雇用にして、あとは「人材供給会社」みたいなものから全部入れていくと。たから正社員として採用した以上は女性差別もやらないと――むこうはこんなふうに考えているんでしょうね。これに対抗する我々の方は大変むずかしい。
 「正社員」の意識をどうするかということですが、死んだ丸紅の島田常務は遺書に「会社は永遠です」と書いていましたよね。こうなると宗教ですよね。会社というのは理想であり、人生の一切であると――。アイデンティティーという言葉があるけれども、サラリーマン人生のアィデンティティーは「会社の発展」ということになるわけです。それは資本というんじゃなくて、運命共同体としての「社員」なんですね。「社員」というのは法律上は株主のことをさすんですが、なぜかふつうは従業員のことを社員と呼んでいるわけですね。その社員の運命共同体というわけですが、必ずしも幻想共同体とも言えないと思うんですよね。実体が、ある程度はある。会社の発展がアイデンティティーたから、その枠を出てものを考えてはならないという原理になってるわけで、そこからはずれるヤツは排除する。そういう原理で統合されているわけです。だからキリスト者がやられるのも、根底には、左であろうがなかろうが、会社とは別の原理をもっているヤツには冷たいということだと思うんです。運命共同体としての会社の発展という原理を思考の原理にするということが不動の前提になるわけですね。
 物質的基盤に無理があっても、かなり無理がない程度に、色々整えるわけでして。社宅や寮があったり、様々な制度がある。社員が死んだりすれば会社の総務課か何かが葬式の面倒を全部見るとか、ヨーロッパでは全く考えられないことでしょうね。
 とくに「社員」の部分を考えるときというのは、こういう実態を前提にして考えないと、多数派はとれないということですね。組織的多数以上にまず「行動の統一」ということですが――。そういう多面的な行動――行動といっても、もちろんデモや何かだけが行動ではありませんから――行動の多面的な統一を、大企業の職場の現状を前提にしてどうつくっていくかということですね。「会社の発展」ということについても真剣に――科学的に考えるということも含めて、労働者の生きがいについて考えていかないといけないのではないか、と思いますね。
 しかし、その前には統合の前の分離ということもあるから、やはり我々の中では、日本的風土の否定性の問題をはっきりさせておく必要もある。企業内従業員組合主義が、いわゆる活動家も含めて骨の髄まで染みこんでいるわけですがら――。いくら左翼的なことを言っても例外ではないですから、きびしく見ておくということは必要だろうと思います。
 以上、大変抽象的な話ですが、あとは、案際に大企業の職場からの闘いを起こしているみなさんが、具体的に切り開いていくしかありません。  

佐藤一晴 追悼・遺稿集刊行委員会編「一晴の夢、歩んだ世界」(2002年11月16日発行)所収
初出:《東京労働争議研究会》機関誌『争議の焦点』臨時号(1982年)