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旬報社《賃金と社会保障》96年11月上旬号所掲

職能ユニオンの可能性

――開かれた労働市場と「企業社会」の乗り超え

◇目次
  1 職能ユニオンと私
  2 日本音楽家ユニオンに見る職能ユニオン運動
  3 職能ユニオン運動を通して見えてくること―日本の組合運動のひずみ
  4 自由な開かれた労働市揚を―企業社会から市民社会へ
 職能ユニオンというものの規定や歴史的位置づけなどは、木下、浅見両先生のお話(職能ユニオンの研究1/本誌四月上旬号、一七頁三六頁)で明瞭ですから、私は主として個別、具体的な経験を述べ、シンポジウムの主題である企業社会の超克という課題との関連で、日本の労働市場をどうしていくのか、という問題についてお話したいと思います。
1 職能ユニオンと私
①一九六〇年代の労働争議を通じて考えたこと
 私は、一九六〇年代のほとんどを、企業閉鎖反対闘争というシンドイ労働争議の当事者として過ごしました。業種は広告で、労働組合組織としては、全国一般と広告労協、それに東京都中央区の区労協に属していました。
 争議に勝利するためには、いろいろなことをやらねばなりません。その一つに、学習も含まれます。当時、全国一般は、企業内組合からの脱却という運動方向をかなり強くもっていましたので、個人加盟の統一労働組合や同一労働同一賃金原則などもあるべき姿として学びました。
 その実践として、企業組合の集合体でしかなかった全国一般東京の中部に、個人加盟の中部地域支部を組織することに手をつけ、自ら組合員第一号になりました。しかし当時は、組織形態の個人加盟という点にだけ重点をおいていて、職能的ファクターに注意することはまったく欠けていました。これは賃金問題、同一労働同一賃金、労働の価格としての賃金などの問題に、実際にはまったく取り組まなかったことと関連しています。この辺は、私たちの特殊的な運動と理論のゆがみというだけでなく、一九六〇年代の個人加盟労働運動全体に共通の問題であったと思います。
 ところで、労働争議、とくに企業閉鎖反対闘争は、当事者の奮闘と同時に、支援の労働者を中心にした運動の高まりがあり、社会的な影響力が行使できないと勝利にいたりません。私たちも、闘争の過程では、仲間の労働者たちの、親身な連帯活動に支えられましたし、また争議が終結に向かって前進していく過程では、争議支援がきっかけになって、デモや集会、そしてついには統一ストライキまでおこなわれ、地域的および産業的な労働組合の統一闘争が、大きく、素晴らしく高揚するのを身体で感じました。労働組合運動はすばらしいものだと実感しました。
 ところが、争議が終わってしばらくたつと、あの統一の各面にわたる前進の経験は、引き継がれず、一般化されず、さらに新しい段階へ押し上げられることもなく、いわば跡形もなく消え去ったかのようになってしまいました。
 別に、争議がつくった運動だから、争議がなくなったから消えた、ということではありません。争議はきっかけに過ぎず、中心的な地域や産業の組合の自己運動になっていたかに見えたのに、です。そして残ったのは個人加盟の地域支部でした。これも周囲の組合の運動の停滞のなかで、必ずしも十分に発展しきらないうらみがありました。
 なぜか。要するに企業内組合の、宿命的な、暗い、底知れぬ泥沼のような性格を見てしまったような気がしました。どんな闘争の経験も、統一の達成も、蓄積されず、そこに呑みこまれてしまうのです。運動は、企業の外に、確固たる指導中核をつくり、そこに引き継がれないかぎり、自然に成長したりするものではないことを学ばされました。
 個人加盟組織の運動に取り組み始めた頃は、観念的に、本来こうあるべきだ、と考えていただけなのですが、こういう事態に直面して、何とかしないと日本の労働運動はとんでもないことになると真剣に考えるようになりました。
①総括の機会 その一 
「東京争議団の十五年―ほんものの労働組合をつくるたたかい」(労働旬報社、一九七五年)
 そんな気持ちでいるところへ、音楽家が組合をつくるから専従で手伝わないか、という誘いがあり、これはなんとしてもやりたいと、状況や今後の可能性など具体的な検討は何もせず、引き受けました。一九七二年のことです。そこでどんな組織づくりをしたかは後段で述べます。
 同時に、私のなすべきこととして、東京の争議団共闘運動の総括をする仕事が残っていました。この節の表題になっている論文は、その結果です。これは、争議団共闘運動を主題にしたものですから、当然ここでの話とは直接関係がありません。しかし、実際には音楽家のユニオン運動を進めながらの作業でしたので、争議中よりさらに企業内組合否定のニュアンスが強く出ました。
 副題の「ほんものの労働組合をつくるたたかい」がそれを示唆していますし、この論文の結論にあたる最終章は「企業内従業員組合主義克服の一過程――むすびにかえて」となっています。したがってこの論文の最後の文章は、「そして全争議団員の言語に絶する奮闘も、まさにそのような日本労働組合運動の戦略的課題(企業内組合からの脱皮――引用者)への貢献によって、本質的にはただそのことだけによって、報われるのである」となっております。
②総括の機会その二 
「私たちの組織的課題―職能的結集を見直しつつ」労働法律旬報一九八八年二月上旬号(一一八五号)所掲
 それから一〇年ほどたった一九八六年に、音楽ユニオンも加盟しているMIC――マスコミ文化情報労組会議――が組織問題研究会を継続しておこない、私がそこで表題の報告をし、のちに労働法律旬報に掲載されました。
 そこでは、音楽ユニオンでのおよそ十五年ほどにわたる実践を経て、明確に「職能的結集」の課題を提起しています。その内容については、全文がプリントされて資料集に入っているので、のちほどお読みください。
 いずれにしても、職能ユニオンの実践は単に組織形態の問題にかぎらず、賃金、雇用、組合機能など、労働組合運動のほぼ全面にわたって、従来の日本的「常識」とちがう、場合によっては真っ向から対立する問題提起をしております。このような議論が、音楽ユニオンのなかだけでなく、MIC全体の事業としておこなわれたところに、新しい視点が現実的有効性をもつにいたった状況の推移をみてとれます。
2 目本音楽家ユニオンに見る職能ユニオン運動
 そこで次に、音楽ユニオンの実態に即して職能ユニオンのあり方をみてゆくことにします。
①組織の性格
 組織の基本的な性格は、厳格な、全国単一個人加盟産業労働組合としました。音楽分野で働くあらゆる職種の人を対象としたので、組織の規定としては、クラフトユニオン……職能ユニオンではなく、産業労働組合です。しかし、組織人員の大半は職業演奏家ですし、職能的な要求を運動の軸とし、内部機構も、大地域的地方本部の下に、職域職能別グループを置くようになっています。現在約六〇〇〇名の組合員で、その九五%が器楽演奏家――英語でいうミュージシャンです。残りの五%は、歌手、指揮、作曲、事務などの人たちです。
 演奏家は、大部分がフリーのミュージシャンで、二〇%にあたる一二〇〇名ぐらいがシンフォニーオーケストラなどに所属している、常時雇用労働者です。ポピュラー関係の恒常的雇用関係は、この二〇年の間にすっかり減少してしまいました。大きなクラブやキャバレーがすっかり姿を消したせいです。また小さなクラブ、バーではカラオケの出現で、ミュージシャンが職を失いました。残っているバンドやソロのミュージシャンも、常時継続雇用はきわめて少なく、フリー的になってしまいました。
 フリーの人たちが個人で組織に入るのは自然ですが、常用で、しかも通常の企業従業員よりはるかに一体感が強いオーケストラの人たちが、個人加盟でユニオンに加わるのはとくに企業内労働組合がほとんどの日本の社会では難しいと思われました。
 しかし、この分野でも妥協せず、個人加盟原則を貫きました。企業内組合の場合でもそこへの加盟は基本的に個人単位ですし、先輩であるヨーロッパのユニオンを見てもこの原則は貫かれています。  音楽ユニオン(音楽家ユニオンの前身の組織)が結成されたのは一九七二年です。その前にいくつかのオーケストラでは、企業別単組が組織されていました。当時の、つまり一九六〇年代後半の個人加盟労組運動の停滞と既成企業内労組批判のいささかのゆきすぎの反動として、企業内組合の階級的強化論が力を得てきていた頃ですが、主流的見解は、そのまま企業別単組の連合体をつくる方向をとるべきだ、ということでした。
 しかし、私たちは断固として、企業内労働組合の解散と各個人のユニオンヘの再登録という道をとりました。この過程で非組合員が増えたところも一、二ありましたが、その後何年かの経過のなかで、結局は吸収されました。またその後続々誕生したオーケストラの組織は、いずれも楽団員個々が個人加盟ユニオンの一員となり、各オーケストラ単位の職場組織をつくるのが当然ということになっています。
 日本の労働組合の「常識」の影響を受けて、企業単位のものの考え方が根強く残っていますが、ユニオン全体の決定や統一的政策を優先させることは自ら当然という態度が習慣となっており、この組織原則を貫いたことは全く正しかったと考えています。
②政策の特徴
 機関の会議で音楽ユニオンの政策を議論する順序は、第一に音楽文化の振興擁護となっています。普通の労組は春闘――賃金からでしょうが、ここが相違点です。国、地方公共団体の芸術団体補助金や、国立劇場建設問題その他の課題が取り上げられます。音楽ユニオンの運動の最重点は、音楽と音楽業界自体の隆盛に向けられるわけです。なお、Live music is the best=音楽はナマで! というのは世界中の音楽ユニオンに共通するスローガンです。
 第二は権利問題。ここでもユニオン自治権や生活権の課題より先に、著作権、社会保障権が優先して取り上げられます。社会的制度的権利確立を重視しているわけです。政府や議会、業界や関連団体への働きかけが中心です。ILOやWIPO(世界知的所育権機関)など国連機関の動向も重要な議題です。
 第三は賃金、職場確保の問題。ここでも、業界経営団体、つまりレコード業界や放送局との最低基準賃金の協定交渉が重要な議題です。また音楽する場を拡大することも大きな関心事です。
 最後の組織問題の前に「音楽家社会をつくる活動」が設けられています。これも職能ユニオンらしい特徴ある活動だと思います。内容は、自主共済活動と各分野の交流活動の援助です。フリーの音楽家は一般の労働者と比べて社会保障が不十分なので、病気や傷害の時に共済給付があると非常な助けになります。
 しかし、それだけでなく、いわば“会社社会”の日本の中で、会社と縁のない音楽家たちが、自分たちの努カで自分たちの社会、職能で結ばれた社会をつくることに意識的に取り組んでいることが重要です。音楽ユニオンの機関誌「音楽人通信」(月刊)の終わりの方のぺージは、新入会員、住所移転、病気や慶吊のお知らせになっています、ユニオンの会員の誰もが、このぺージだけはさっと目を通すそうです。注目度がいちばん高いわけです。地域社会=世間しかない日本の社会構造のなかで、こうした努カは真の近代社会を構築する活動になるのではないでしょうか。
 なお通信の最後にはいくつかのオーケストラの楽員募集広告が載っています。これは有料です。どんなオーケストラが楽員募集をするときも、ここに載せます、そうしないと優秀な人が集まらない、というわけです。開かれた労働市場の形成に労働組合が重要な役割を果たしているといえましょう。
3 職能ユニオン運動を通して見えてくること――日本の組合運動のひずみ
①賃金労働条件のこと
 賃金額決定の原則は、同一労働同一賃金にあります。いわゆる年功序列型は、賃金決定の原則たりえません。これらのことは、賃金理論や経済法則を云々しなくとも、終身雇用的正規従業員以外の労働者――パート的、臨時的、フリー的労働者――の賃金問題を実際に取り扱えば、たちどころに明瞭になってきます。賃金決定のファクターは、提供する労働の質と量以外には何もないのです。
 あるいはこういう主張もあるかもしれません。それは、フリー的労働者は特殊例外的ケースであって、終身雇用、年功序列型こそ日本の大多数の労働者の通常の賃金決定原理だ、と。しかしそれは、個別企業内で現に広く見られる形態なのであって、社会的な強制をともなったものではありません。それに反して、いわゆるフリー的、不安定雇用的労働者のケースは、労働市場を通じて社会化されており、企業の枠を超えて通用する客観的なものです。そこでは、労働者の組織された運動がまだ弱小なので、一部の例外を除いてはなはだ低水準であり、かつ労働の標準作業量の設定もあいまいな点を残しているけれども、しかしその尺度には客観性があります。
 なお、賃金問題について、比較検討の対象として欧米など広く近代資本圭義の生産様式が主流となっている社会をとれば、日本型終身雇用年功序列型こそ、全くの例外的な少数派であることは議論の余地がありません。
 いずれにしても、労働組合の任務は、さしあたって、年功序列型を維持することによって、当面の労働者の生活をまもるところにある、という議論はよく理解できます。しかしそれは、あくまで当面の防御的活動に過ぎません。労働組合の賃金問題での戦略的任務は、横断的な最低基準賃金と、職種、職能による賃率の設定にあります。またそのためには対応する労働の内容、責任と権利の範囲、労働の量=労働時間その他の規制を可能なかぎり明確にしなければなりません。
 そんなことはわかっているが、経営者側がそんなものはのまない、いや聞く耳さえもたないから仕方ないのだ、という声も聞こえます。しかし、かりにそうだとしても、いまの労働組合=産業組合は、その案さえもっていないではありませんか。そして、実は、現在の労働組合が真剣にその気になれば、これら横断的労働協約も決して不可能なものではないと考えます。まだ部分的ですが、小さな音楽ユニオンでさえ、いくつかの分野でそれを実現しているのですから。
 とくに、日本の労働組合は、明確な、労働者個々人に適用しうる賃金表をほとんど持っていない――特殊な一部の企業内労働組合を除いて――と思います。もし、たとえ企業内であれそれがあるとすれば、経営者側の査定などというのは、存在し得ないはずです。
 どんなに小幅であっても査定都分を含む賃金というのは、実は賃金の名に値しないのであり、お給金に過ぎないものです。そこには、資本家と労働者がいるのではなく、ご主人と番頭、手代、丁稚、下女がいるだけなのです。そこでは、労働者=雇われ人たちは、八百屋の店頭で売っている野菜やくだものほどの商品としての独立性も持っていません。
 当然のことですが、近代社会=資本主義社会ではすべての商品やサービスは、売り手の側がまず値段と売り方――りんごなら一ケいくらか、一〇〇gいくらか、一山いくらか等――をきめて提示するのが当たり前です。ところが、日本では労働者の値段=賃金だけそうなっていないのです。
②労働市場と雇用
 発達した市場経済を統制する経験も持たなかった「社会主義」が崩壊したように、開かれた労働市場を規制する力も経験もない「労働組合」も、遠からず消滅するぞ、と冗談めかしていうのですが、労働者側ができるだけオープンな労働市場をつくり上げることが、どうしても必要だと考えます。ところが、日本の労働組合の多くは、労働組合の規制があろうとも、労働者=組合員を労働市場に出すのをおそれ、忌み嫌っているように見えます。
 善か悪か、好きか嫌いかは別にして、いまや世界中が市場経済中心の社会になってきているのですから、これに労働者側が背を向けていると、結局、市場化を止めることなどできず、ただ資本側の都合の良い、労働組合の規制力の全く働かない、いびつな労働市場ができてしまうことになります。現に事態はそのように進んでおり、企業内組合の厚い壁で守られ、居心地良さそうだが、一方で人間的独立を根底からむしばむ半封建的遺制のバイ菌がうようよいる、ぬるま湯のような年功序列制につかっていられるかに見えた「正社員」労働者たちが、それこそ裸で労働市場に投げ出されかかっているではないですか。
 一方、実際には、あたりまえの経営をやるつもりなら――別に例外的に寛大でものわかりの良い経営者でなくとも――健全な、つまり労働組合運動の自由も含む労働市場の確立は、資本家、経営者側にとっても決して邪魔なものでなく、むしろ必要なものです。
 また、期限の定めのある雇用契約というものも、積極的側面を持つものとしてとらえ直すことができると思います。これも日本の労働組合運動からは忌み嫌われているようですが、期間を限って必要な労働を購入するというのは、まともな経営体でもあり得るわけです。それを敵の策略とか、ずるいとかいう心情レベルでとらえても仕方ないわけです。
 一方、経営者は従業員の反発を買うといけないということで、下請けに請け負わせるかたちを取って、結局労働者が二重に搾取される結末になったりするわけです。
 労働組合側は、短期的契約には割増賃率を設定すればよいだけのことではないでしょうか。しかも、年功序列でなければ雇用先変更はキャリアの高度化を意味し、労働者側に有利なケースもまま見られるのです。また経営者側も、もし永続的にその労働力が必要ならば、可能なかぎり老練な、個別企業の固有な状況になれた労働力を長期に安定的に雇用する方にメリットを感ずるでしょう。ただし年功序列型賃金でなければですが。
③職能系労働者社会の設
 音楽ユニオンの政策のところでも述べましたが、福祉、共済、交流、奉仕、それに技術教育や試演、共同研究など、労働者の自主的なコミュニティづくりに労働組合はもっと精力的に取り組むべきです。もとより、賃金協定改定や諸権利拡充、擁護などの活動も、結果的に労働者社会、職能的コミュニティづくりに貢献することになりますが、より意識的な取り組みが必要だと思います。会社=企業が取り込んでいた領域を、こちら側のものにする、あるいは疑似コミュニティにとらわれ人となっていた仲間を、いわばゲットー(囲い込み)から奪還する仕事です。どうしても上意下達的になりがちな一般的組合活動より、はるかに生き生きと、サークル的、ボランティア的活動に取り組む労働者たちを発見できるでしょう。実はここに企業社会を乗り超える一つの重要な鍵がある、「世間」ではない「社会」を日本に本格的につくるのは、ここから始まるのではないか、と思います。
4 自由な開かれた労働市場を――企業社会から市民社会へ
 ①「企業社会」の条件
 いわゆる「企業社会」を根底から支えているのは、資本のカウンターパートとしての労働者側の「企業内従業員組合主義」にあると私は考えます。近年、「過労死」だとか「社畜」だとかいう言葉がマスコミでも目につくようになり、一方、ゼネコンの汚職だとか、製薬会社、厚生省がらみのHIV――エイズ問題だとか住専問題での銀行、大蔵省の着などという事態も起こりました。ですから、「企業社会」問題というのは、日本の総合的な社会構造の問題であって、たとえば「年功序列型賃金」などという、シングルイッシュー(争点)で割り切れるものでないことはたしかです。
 私たちが常日頃問題にしている音楽家を含むフリー的労働者の社会保障、労働保険についても、フリーな労働者に労働者としての社会保険が実現できないのは、日本の社会保障ンステムが、労働者を企業を通じてのみ保護しようとしているからです。それも企業が常用的と認めた労働者だけを保護するシステムです。ヨーロッパでは、当然直接個人を保護の対象としています。
 そういえば、国家の成立の基礎条件である勤労者からの徴税も、日本では企業の義務となっています。他の高度工業化社会では、ほとんど、国家と勤労者の間の直接の関係になっているのにかかわらず、です。
 こんな調子ですから、企業社会の克服といっても並大抵のことでないのはよくわかります。
 なお、つけ加えれば、もちろん大蔵省、厚生省その他の省庁も「企業社会」の「企業」にあたります。そこでの官僚のみなさんの行動の根本動機も、企業主義に基づく以外の何物でもない。しかし、壮大なパラダイムをなしている「企業社会」もそれを変革するキー・ファクターはあります。それは賃金、雇用を中心とした、労使関係にあるというのが私の考えです。
 「企業あってのものだね(物種)」というのが、左右を問わず、日本の労働組合および労働者の本音なのではないでしょうか。しかしそれを個々の労働者や組合幹部の思想や資質の問題とするわけにはいきません。だから「左右を問わず」だと思うのです。
 賃金、労働条件および雇用を左右する条件は個別企業にだけあるのが現実です。よく賃金闘争などで、「支払能力論、パイの理論に惑わされるな」というようなことをオルグ諸君は説教するのですが、実際に企業の支払能力や存続、発展の度合いは、労働諸条件に大きく影響するし、逆に倒産となれば労働者の生活に甚大な影響を与え、それから受ける損失はほとんどつぐなう方法がないのが、いまの日本のしくみなのです。
 それは、自由な開かれた労働市場が存在せず、企業の枠を超えて社会的に通用する労働協約や、一般的および職種ごとの最低基準賃金と職業能力による賃率が存在せず、それを担う自由な個人の結集する自由な組織=ユニオンが存在しないからです。そしてまた、個人の労働能力が客観的に評価される基準がなく、また労働市場で横断的に評価されるべき労働能力を育成する機関が不十分だからです。
 それもこれも、資本家諸君の善意の欠乏や、政府高官の開明度の低さによってもたらされたと批判するだけですむものではなく、主として日本の労働者階級とその組織の戦略目標の設定に不正確さがあり、したがって一貫した系統的な活動が粘り強く展開されなかったことによるのではないでしょうか。
 いずれにしても、労働者の生活の実際が、個別企業と運命共同体のごとく結びつけられているかぎり、企業社会の超克はなしえないと考えます。  
②遅れた労使関係の近代化こそ課題
 戦後五〇年、まがりなりにも労働組合の存在と運動が公認され、少なくとも法律上は奨励されてきて、一体全体私たちは何をしてきたのか、と思うといささか悔恨の念にうたれたりするのですが、感傷にふけっている暇はありません。客観的状況は急激に変わりつつあります。
 パート、アルバイトなどと呼ばれる人々が急速に増えてきました。リストラクチャリングなるかけ声のもとで、終身雇用、年功序列のぬるま湯につかっていた正社員労働者の地位に揺さぶりがかけられています。日経連は、「新時代の日本的経営」を提起し、この傾向に一層拍車をかけようと号今を下しました。
 当面これらの政策に反対して労働者の生活を守るのは、すベての労働組合の仕事ですが、しかしこの傾向はどのみち、進むだろうと思われます。ということは職能的なものを重視した、自由なユニオンの運動を進めるための客観的な基盤が、急速に形成されつつあることを意味します。いま私たちが、ただちにとりくむべき課題がここにあります。
 それはもとより、企業内にとらわれている正社員労働者を含め、すべての働く人たちの具体的で根本的な利益を守るためです。同時にそれは、日本の企業社会の根底を掘り崩し、近代社会へのキャッチアップを、確実に用意することとなります。
 政治、経済、社会の全面にわたって現在の日本が深刻な問題をかかえているのは、ご存じの通りです。その基盤に日本の社会の後進性があり、それが企業社会現象を生み出しているのだと思います。逆ではありません。  これだけ生産力が高度に発達していながら、労使関係を中心とする、生産関係というのでしょうか、社会の土台は、みてきたように封建的な遺制をたくさんひきずっています。そういったひずみが、上部構造というのでしょうか、もう毎日のように見慣れ、聞き慣れている、日本の民主主義の未発達を引き起こしているのです。
 日本のインテリの間では、戦中、一九四二年の文学界の座談会「文化総合シンポジウム――近代の超克」以来、戦後すぐの「近代主義」論争やら「主体性」論争なども含めて、「近代の確立か超克か」というテーマが論じられてきました。その後竹内好や広松渉といった人々も参加しています。よく読んでいるわけではありませんが、いわば左右両翼から「近代」は超克の対象とされてきているようです。
 その根底には、「近代」と「ヨーロッパ」とが不可分のもののように受け取られている向きがあります。なるほど、ヨーロッパ社会がさきに近代化したので、実際に関係は深いのですが、本来性質の異なる問題です。またなぜか日本では、「近代」は「現代」と別のもの、別の時代、したがって場合によっては対立関係にある概念として、もはや「近代」を云々する時代ではない、といった理解もみられます。
 とくにヨーロッパに対するアジアあるいはその一員としての日本の対立感情、いやむしろコンプレックスは強そうで、そこからこの問題に対する、さまざまな歪みをともなう対応が出てきているようです。
 また、近現代混同あるいはむしろ誤解に関しては、主として左翼的人士の方々から、近代はブルジョア+資本主義で現代はプロレタリアート+社会主義の時代だから、いまさら近代でもあるまい、といういささか粗雑な論法が多かったような気がします。私は、そこらへんの日本復古派的、スコラ的あるいは観念進歩派的、あるいは俗流社会学的議論におつき合いする暇はないので、前に述べたように、ただ単純に提起します。
 生産が近代的に発達しきった段階にあるのに、生産関係、その基本である労使関係が近代化されていないのはおかしいと。  この矛盾は、とくに権力から遠い民衆、労働者階級をはじめ無産階級の人々にはなはだしい苦しみを与えているのです。そしてこの不法矛盾は、必ずや生産力の発展する方向で、すなわち近代化を推し進める方向で打開されざるを得ません。しかしその戦いの担い手が自覚して立ち上がらないかぎり、この不正常な過渡期はある程度長く続き、人々の受ける苦難も増大します。
 このひずみが長く続くかぎり、日本の社会は民主化されず、決して戦前そのままの姿ではありませんが、再び国際社会とくにアジアに、現段階では想像できぬやり方で大きな危害を加えかねないと思わねばなりません。たとえばこの矛盾の解消は、二〇世紀前半では、日本の労働者階級、民主勢力の勝利によってではなく、あの戦争の敗戦、沖縄、広島、長崎の惨禍をともなった敗戦によって、ある程度おこなわれたのです。
 戦前のドイツのナチズムやイタリアのファシズム、そして日本の軍国主義的コンフォミズム(体制順能主義)を生んだ要因の主要な一つは、紛れもなくこの矛盾であり、先の大戦と日独伊三国の敗北は、生産の近代性と遅れた社会構造の矛盾の運動形態であり、そこから生じたひずみの、歴史的かつ非内在的な、強制的な解消であったのではないでしょうか。非内在的、つまり人々の主体的努力によるものでなかっただけに、ひずみの解消、矛盾の克服は、戦後のこれらの国の人々の運動にゆだねられます。
 ドイツ、そしてイタリアで、どのようにその過程が進められたのか、よくは知りませんが、少なくとも日本より上手に、あるいはより真剣に取り組んできたのではないでしょうか。
 ③職安法の立ち枯れと労働基準法の局地化の示すもの
 よその国はともかく、日本は、とても立派にやってきたとは言えません。たとえばアメリカから「押しつけられた」職業安定法は、違法状態が野放しにされてきたあげく、先の労働者派遺法の制定で骨抜きになってしまいました。日本政府の怠慢、あるいは意識的サボタージュ、経営者たちの市民社会の法的秩序への無関心、あるいは貪欲な違法行為を糾弾するのは容易ですが、それだけですむものではありません。
 せっかくアメリカから「与えられた」有利な武器を有効に活用せず、開かれた労働市場の設、市場の民主的統制をそこなう、自由なユニオンの設立を進めてこなかった私たちの運動の弱点をまず考えるべきです。
 付言しておきますが、この職業安定法制定の勧告は、「再びアジアの民衆が日本の軍国主義のクビキのもとで苦難を強いられることのないよう」、労働者の派遺を業として、中間搾取を行う一切の行為を禁じ、労働組合にだけ供給を許可しているのです。このことは派遺法制定の問題が出たときに関連文献を読み直して知ったのですが、GHQ民政局と私の見解が一致しているので、ビックリしました。
 もう一つだけ例をあげれば、労働基準法もそれなりの水準に達しているし、各企業毎には企業内組合との間で多面的な労働協約が結ばれて、総体的には労働者がかなり十分に保護されているような外観を呈しています。
 しかし、そもそも基準法が適用されないとされる労働者が年々増加してきていますし、企業内労働協約も、その適用範囲は当然のごとく正社員である組合員にかぎられています。したがって正社員でない労働者、また正社員であっても組合員でない労働者、つまりいわゆる管理職のところが、現在、解雇、失業を頂点とするさまざまな攻撃の矢面に立たされていることも、よくご存じの通りです。
 職安法の立ち枯れと、基準法の局地化は、実に多くの労働者大衆を苦難の底に落とし込みます。同時に、農民や中小商工業者でも、それぞれの分野での民主的規制の後退、あるいは欠落で、塗炭の苦しみをなめる人々も多数にのぼることでしょう。これら虐げられた人々は、もし事態の前進的な解決の方向が具体的に示されなければ、しばしば、自分たちを虐げてきた者たちの吹く笛の下で、凄まじいエネルギーを発揮して、結局奈落の底まで落ち込んでゆくのです。  先の戦争の教訓として、私たちが本当に取り組むべき課題として雇用、労働市場の民主化があるのに、そしてその軸は職能的要素を重視したユニオン運動しかないのに、日本の労働者たちはそのことにあまり気づかずにきてしまいました。まともなユニオンづくりの運動が、実は日本社会の基本的な歴史的課題と正面から取り組むことなのだと最後に申し上げて結びといたします。

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(本稿は、一九九五年五月一九日、六月二四日に行われた職能ユニオン研究会での報告と発言をもとに、いくらかの補筆をして一九九六年七月二〇日に脱稿したものです。)

佐藤一晴 追悼・遺稿集刊行委員会編「一晴の夢、歩んだ世界」(2002年11月16日発行)所収
初出:旬報社《賃金と社会保障》96年11月上旬号