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闘い、それが生きる希望を切り拓く

○○○○○○○○○○○○○○○小越洋之助のページ

「東京争議団物語」、そしてその後‼ へようこそ。

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2019年12月01日
◆『東京争議団共闘の15年一ほんものの労働組合をつくるたたかい』(市毛良昌・佐藤一晴、労働旬報社、1976年)。最初、中林賢二郎先生が編集していた『危機における労働運動, 労働運動史研究58号』(1976年 労働旬報社)に所収したもの。1970年代から80年代にかけて、東京争議団運動の進路を激励した論文。
2019年12月01日
◆1960年代から始まった東京争議団――「闘う労働者のど根性」( 労働旬報社、1963年9月)。
2019年12月01日
◆『たたかう個人加盟労働組合 : ルポルタージュ』――(山岸一章著、太郎書店、1967年)――この本が高度成長期の日本において「産業別個人加盟労働組合組織化」を描いた初めての本。うずもれている歴史から新たな光を!
2019年12月01日
◆『砦にひるがえる 勝利の旗 正路喜社闘争九年の総括』――(正路喜社労働組合支援共闘会議編、1967年2月)――のちの『東京争議団物語』を書いた佐藤一晴さんたちの奮闘記。
2019年12月01日
◆『東京争議団物語』(東京地方争議団共闘会議編、労働旬報社、1965年)――「闘う労働者のど根性」以後の経験を総括し、あらたな前進の武器にすることをめざして、全争議団で組合員の手記を書く運動を進め、一年ごの一九六五年夏、『東京争議団物語』が出版された。このルポルタージュも、けっして理論的に整備されているとは言えないし、混迷の跡も多く残っている。
しかし、大討論集会からの一年の歳月とその間の情勢の変化、大衆的総括運動の健康な反映、執筆過程で徹底した。
2019年12月01日
◆「ドレイ工場 たたかう労働者の長編劇映画」で全国へ――「ドレイ工場シナリオ」(山本薩夫・武田敦監督、1968年、労働旬報社)。「ドレイ工場 ●東京争議団物語より 戦う労働者の長編劇映画シナリオ」、(1966年1版、労働旬報社)
2019年12月01日
◆1970年代に向かって、新たな青年たちの闘い――[201007追加]『コブだらけの勝利』(全国一般神奈川地本油研分会、今崎 暁巳著、労働旬報社、1969年)。[201008追加]若かりし頃の柴田光郎さんの登場:『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(今崎暁巳著、労働旬報社、1970年6月15日刊)。1960年代の生コン労働者のたたかい――『抵抗』(全自運大阪地方本部全自運関扇運輸支部編、1966年12月)  『良心の歴史をつくりたい』(報知新聞労働組合、報知印刷労働組合、報知印刷大阪労働組合編、労働旬報社、1970年)。[201007追加] 『700人の記録 続 良心の歴史をつくりたい』(報知新聞労働組合、新聞労連 報知印刷労働組合、報知印刷大阪労働組合 編集・発行、1971年5月、協力・労働旬報社)
2019年12月01日
1970年代~80年代へ、主な東京争議団運動関連の出版物――『争議組合物語 828日の日本製紙闘争』、『早く高く勝利を 報知闘争の記録』、『石流れ木の葉沈む日々――三菱樹脂・高野事件の記録』、『大映 ふたたび不死鳥は翔ぶ―経営再建・映画復興への挑戦』、『めしと団結 大阪生コン労働者の闘争』など。
2019年12月01日
◆ベストセラー『どぶ川学級』(須永茂夫著)の誕生――全金日本ロールの闘いの中で。映画「どぶ川学級」で日本全国へ 。
2019年12月01日
◆感動を呼んだ、『友よ! 未来をうたえ 日本フィルハーモニー物語』など日本フィル闘争3部作!(今崎 暁巳著)と映画化.
2019年12月01日
争議団運動めぐる図書と研究者・運動家の発信              「労働者の闘いの記録――神奈川の事例を中心として」(光岡博美、駒沢大学教授、駒沢大学経済学論集、第11巻第3・4号)
「ニチモウキグナス労資紛争史 1 :  70年代における企業合理化と労働組合運動」→2、3、4へ(山本興治 下関市立大学、下関市立大学論集、公開日 2010-03-03)           
「大映研究序説 ――映画臨戦体制と大映の創設」(井上雅夫、立教経済学研究第64巻第3号、2011年)           
造船産業合理化から地場産業を守る闘い 元全日本造船機械労働組合中央本部書記長 大河内俊雄、静岡社会文化協会 
2020年07月07日
果敢に挑戦した「大企業の労働問題・労使関係」
『三菱帝国の神話』 (今崎暁巳著、1977年)、『松下王国の神話』(橋本・中山著、1978年)、『ドキュメント東京電力  その栄光と影』(山本忠利, 渡辺利夫, 正木浩三、労働旬報社, 1980年7月)、『ドキュメント 日本航空』(今崎暁巳著、1982年9月)、『関西電力の誤算 上』 (大谷昭宏事務所関電争議取材班、労働旬報社, 2002年7月)、『関西電力の誤算 下』 (大谷昭宏事務所関電争議取材班、労働旬報社, 2002年7月)
2020年07月07日
まともな労働組合運動への共鳴!
『青い鳥はどこへ―日産厚木除名・解雇事件』 (青木慧 著、1980年12月)、『雪とふきのとう : 雪印の陰謀を追って』(門倉詇 著、1981年11月) 、『ドキュメント 日本航空』(今崎暁巳著、1982年9月)、『自立する労働運動―知られざるインフォーマル組織』(吉村 宗夫著、 1983年4月) 、『自己革新の旅 : こころの時代の労働組合』(深井建二・西日本新聞労組委員長著、労働旬報社、1985年3月)、『労働組合のロマン――苦悩する労働組合運動からのレポート』(中西五洲著、労働旬報社、1986年2月)、 「関西生コン労働組合運動の歴史と到達点――業種別支部型労働組合運動が切り開いたもの 」(新しい労働組合運動の模索―2―他人の痛みはわが痛み)、武 建一、「賃金と社会保障」 847号、 1982年08月、『私の選択 あなたの未来 プロレタリアートへのメッセージ』 (寿岳章子、小林康二ほか編、全大阪金属産業労働組合20周年記念、労働旬報社、 1987年11月)『協働の未来に光あれ! パラマウント製靴の歩みと労働者生産協同組合へ』(石井光幸・パラマウント製靴共働社、シーアンドシー出版刊、1995年8月、B5判並製、400頁)、『皆でたたかった50年――全日自労三重県本部の歴史』(全日自労三重県本部・協同総合研究所編、シーアンドシー出版、1996年)
「『皆でたたかった50年―全日 自労三重県本部の歴史』の刊行に当たって」(手島繁一、協同の発見、1996年6月、51号)。

(まだ続く)




  
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   ▽2019.10.23
   




 
▽2019.10.23
 



◇「労働運動史研究58号」(労働旬報社刊、1976年1月)

 
 『危機における労働運動I その前進と後退』を特集するにあたって
 ◆中林 賢二郎

 わが国をふくめて、現在、高度に発達した資本主義国のすべてにわたって一様に看取できるのは、深刻な政治的・経済的危機である。
 危機の深刻さは、資本主義発展史上、かつてないもののように思われる。その経済的危機は、明らかに、六〇年代に国家独占資本主義の諸機能を全面的に行使することによって異常なまでに推進された独占資本主義経済の「高度成長」の必然的結果としての、「循環的危機」の性格をもっている。このことはもはや疑いをいれないところであるが、しかし現在の危機はそれにとどまるものではない。周知のように六〇年代の高度成長は、国際通貨機構と低価格の石油という二つの柱によって支えられていたのであるが、これらの二つの柱はともに失われてしまった。まさしく現在の危機は、こうして生じた「構造的危機」が「循環的危機」に折り重なることによって生まれたものであるだけに、とりわけ深刻さの度を加えている。
 そして各国に一様にみられる政治的危機も、こうした土台のうえに生じているのである。
   (中略)
 最後の市毛良昌、佐藤一晴両氏の論文は、争議団の中心的な指導者であった著者たちによる、東京争議団一五年のたたかいの歴史的総括である。総評や春闘共闘の運動の発展を背景にしながらも、それらとは相対的に独自の運動を形成してきた「争議団」が、総評や春闘共闘ではとうてい獲得できず、また考えることすらできなかったような大きな成果をかちとってきたことのうちに、読者は七〇年代の労働運動の強さをみるとともに、そこにこんごの労働運動の発展・強化の道についていくつかの示唆をくみとられるものと確信する。(法政大学社会学部教授)

    (以下のページで全文が読めます)
  
   





    
   ▽2019.10.19
     ◆PART《Ⅰ》
   




 ▽2019.10.25
 

             (労働旬報社刊、1963年9月)
         


◇はしがき

 
 東京地方争議団共闘会議がたん生して、一年たちました。
 この間、東京地方の百をこす争議団は、相互に交流、支援をつよめながら、激励しあい自分たちのたたかいについて討議しあってきました。とくに、東京地評と共催で闘いた、四度にわたる討論集会では、単産 、地評、地区労の諸先輩にも出席していただいて、いろいろな面から、いかにだたかうべきかを探ってまいりました。
 これらの一年にわたる活動のしめくくりとして、現在の独占のファッショ的政治反動 と全面的合理化攻撃に対決しなければならない、「新安保体制下の“現代争議″」の諸特徴、克服すべき弱点、きりひ らいてきた展望 などを 、すこしでも明らかにできれば、と考えてこのパ ンフを作ることを考えました。

 作業を終ってみて、“現代争議団″が、各単産、地評、地区労の中に蓄積されてきた多くの労働者の不屈なたたかいの教訓を正しくうけつぎ、発展させ得ているのだろうか、あらたなたたかいの展望をきりひらいていくらかでも前進しているのだろうか、また、 “現代争議団″の多くの仲間たちの姿、そこから学ぶべきものを正しく伝え得ているのだろうか、自信のないことばかりです。
 労働運動の諸先輩、また、それぞれの部署で激しく敵と対決している仲間たちの、きたんのないご批判を 心からまちのぞんで います。
 このパンフの発行が契機 となって、討論がおこされ、たたかいの前進のかてになり得れば、これにまさるよろこびはありません。
 なお、このパンフを発行するに当って並々ならぬお世話を頂いた上部組織、各争議団、および弁護士・学者の方々に、この誌上をかりて、厚く御礼申し上げます。
  一九六三年九月十日


 ▽同書で掲載された、争議団のたたかう写真。
 
 
 

 
    
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▽2019.11.30
『たたかう個人加盟労働組合 : ルポルタージュ』(山岸一章著、太郎書店、1967年)――この本は高度成長期の過程で、日本において「個人加盟産業別労働組合組織化」を描いた初めての本。うずもれている歴史に新たな光を!
 
   

  







  
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▽2019.11.30
『砦にひるがえる 勝利の旗 正路喜社闘争九年の総括』(正路喜社労働組合支援共闘会議編、1967年2月)――――のちの『東京争議団物語』を書いた佐藤一晴さんたちの奮闘記。
 
   

  










  
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▽2019.10.23
 

             
         


◇旬報社の紹介より

 
1962年5月「東京地方争議団共闘会議」が結成された。首都・東京の片隅で解雇反対闘争を孤立無援で歯をくいしばって闘っていた30余りの中小争議団が「共闘方式でたたかおう」を合言葉に、連帯を獲得し、裁判・地労委闘争、東京総行動、連帯ストなど、闘争戦術を発展させて職場復帰、和解勝利した報告。映画「ドレイ工場」の原作。

◇「東京争議団の15年」より.

 「闘う労働者のど根性」以後の経験を総括し、あらたな前進の武器にすることをめざして、全争議団で組合員の手記を書く運動を進め、一年ごの一九六五年夏、『東京争議団物語』が出版された。このルポルタージュも、けっして理論的に整備されているとは言えないし、混迷の跡も多く残っている。
 しかし、大討論集会からの一年の歳月とその間の情勢の変化、大衆的総括運動の健康な反映、執筆過程での徹底した討論、日本共産党の九中総四・一七自己批判の影響などにより、従来の弱点は事実上克服されてきていた。この本の構成は、第一章争議を生み、たたかいを前進させる客観的条件としての「合理化」攻撃の実態、第二章は他の労組や住民各層との統一を前進させた実践的教訓、第三章は争議団内部の大衆的統一の創造過程、という内容になっていて、職場の実態にあらわれた客観的条件に眼をむけ、要求を重視し、統一が力であるという観点が貫かれようとしている。そのうえ、数多い争議組合のさまざまな実践を報告して、主題に光をあてる構成になっているために「ど根性」のせまさは克服されて、涙と笑いに満ちた争議団の活動が生き生きと報告され、多くの読者の胸をうった。いわば「黄金伝説」あるいは「新編義士銘々伝」であり、六〇年代前半という谷間の時期の労働組合運動の階級性をささえた、血みどろの献身的奮闘や、凄まじいまでの戦闘性とそれにささえられた大衆的で創造的な運動か鮮やかに反映していた。
 この『東京争議団物語』は、今日まで11版を重ね四万部をこえて発行され、やがて長編劇映画「ドレイエ場」にも結実して、争議団の闘争が社会的支持を得る上で大きな役割りを果たした。(「東京争議団の15年」、148p-149p.)



 
    
     (以下のページで全文が読めます)
  
   







◇「ドレイ工場 たたかう労働者の長編劇映画」で全国へ
 
◇上が「ドレイ工場シナリオ」(山本薩夫・武田敦監督、1968年、労働旬報社
下が「ドレイ工場 ●東京争議団物語より 戦う労働者の長編劇映画シナリオ」、(1966年1版、労働旬報社)


 
 東京地方争議団共闘会議が編集し労働旬報社が刊行した『東京争議団物語』をもとに、武田敦が小島義史とともにシナリオ化し映画化。武田が監督も務め、山本薩夫が総監督を担当した。  
 成長を続ける関東鉄工では、安い賃金と劣悪な労働環境により、労働者たちが抑圧されていた。労働者たちは秘密裏に労働組合を結成しつつあったが、そんな中、林が慣れない作業により天井から落下、死亡してしまう。同僚の谷山は組合に参加、全国金属労働組合関東鉄鋼支部が結成を宣言した。
 すでに動きを察知していた会社側は組合の副委員長を務める塚本を買収し、会社により近い組織となる第二組合を立ち上げる。会社側からの不当な圧力を受け、全金は弱体化してしまうのだったが…。



 




   






   ▽2020.10.07
   




 はじめに

 現代の若者は、権利主張ばかり強くて、責任感が乏しい……過保護のため無気力である……がまんできない……あきっぽい……甘えている……反抗や破壊はあっても、建設できない…… 嫌になったら職場を加える。
 これは、ある働く青年の意識調査についてのまとめの項目である。この項目の表現が適当かどうかは別として、ハイティーンから二十代にかけての現代青年に対する、世の大人たちの一面の見方をあらわしているといえる。
 だが、どうだろう。こういうレッテルを若者たちにはりつけることが、果たして、いかほどの意味があるだろう……いやむしろ、若者たちはホントに無責任なのか、過去の若者、戦争中の若者、戦後混乱期の若者たちとくらべて、いったい、どこがどうなんだ? この問題意識は私の気持の底に、いつも生きていた。
 こんなことを考えつづけていた私の心に、個人加盟の労働組合、全国一般神奈川地本油研分会に所属する七〇名の若者だちとの出あいは、“マットウにキラキラ輝く、若者の行く道”をいきなり、太陽の下でつきつけられ、ショックと喜びを、たたたきつけた。
 “ベラボーに安い賃金、ひでえ労働条件、夢もチボーもない生活……これじゃどうにもしようがねえ”。一発かまして、トンズラすべえよ! 
 これが中学卒平均二一歳の、油研分会の若者たちが、学習会の出発=労働組合づくりをはじめた、すべての理由である。ひとまずは、男と男の血の誓い、単純な正義感からはじまったのが若者の団結の出発であった。そして、こうした気分は、今日、合理化下で働かされつづけ、将来に希望をもてない若者たちがもっている、いつわらざる気持だといってよい。
 この油研に働く、おあにいさんたちにとって、何がいったい、頭にカリカリきて、いつどんな時に、立ち上がったのか? そして、転々と、職場から職場へ、青い鳥を求めてさまよった若者たちが、どんな時に、職場に、土地に、たたかいに、カアちゃんに、生命をかけ、働く青年労働者のまっとうな歩みをはじめるのか?
 この五年間の油研に働く若者たちのたたかいは、感じやすく、正義を愛するくせに、すぐ、あきらめちまう青春が、いかに、強く、たくましく、働く仲間すべてに責任をもつ青年労働者に成長していったか……そのたたかいと変革をきざみこんだ記録である。

 “権利”も“労働組合法”もヘッタクレもない若者たちが、“おいらの団結”を守り育てるために、配置転換、第二組合づくり、クビ切り、家族攻撃、兵糧ぜめ、警察弾圧と、次から次にとびだしてくる、敵の攻撃に、オソマツな知恵を寄せあい、どのように、スクラムくんでたたかいぬいたか……。そして働く者の権利と団結をどう身につけていったのか……。
 このたたかいのひとコマひとコマの中から、私たちは、“団結とは?”“人問とは?”“青春とは? ”現代に、生き、たたかう、すべての人びとが感じ、考えていることへのひとつの生きた、“解放への道”をくみとることができる。
 たたかい、解放を目指す、油研労働者の記録の中には、すべてがある。“青春をいかに生きるべきか”を明らかにしてくれるとともに、それはまた、“労働組合とは何か? ”という、古くて新しい問題に対する、素朴で率直な、解答を与えてくれる。
 “イセイのいい若者”が何をきっかけにして、どう変革していくのか……。そればかりでなく、職場や仲間たちに信煩されてしまって、やっかいなことになってしまったと、とまどいながら、モロクテ、一発主義の生き方、たたかい方から職場と仲間に責任をもってまっとうに働きたたかう青年労働者・活動家に成長していった変革の道は、すべての働く者に、限りない激励と勇気を与えるにちがいない。
 もともと青年は、正義感にあふれ、真実に敏感で、無限のエネルギーを秘めたものであった。
 “青春とは無限の可能性を信ずるもの”である。この青年たちを、その日暮らしの、根なし草にしていくものはなんなのか。
 そうではなくて、職湯と地域を変革し輝かしい未来の担い手に変革し、成長させるカギはなんなのか。その原動力と、それを保障する働く者の団結とは、どんなものなのか。油研の若者たちのたたかった道は、それをとくカギの宝庫である。
 七〇年安保問題は、青年問題だともいわれている。職場の青年たちを資本がにぎるのか、労働運動がにぎるのかということである。これをとくカギの一つひとつが、汗と涙と笑いをゴチャまぜにした。“コブだらけの闘う青春”のなかにあるといえよう。その意味で本書の真の執筆者は、いうまでもなく闘魂にあふれた油研の青年労働者そのものに外ならないし、事実、これに記されたものは実録である。
 最後に同じ新鮮な世代を代表して本書の作成に協力をいただいた労働旬報社の飯島君にお礼を申しのべたい。
 一九六九年七月二二日
 今崎暁已





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   ▽2020.10.08
   





 はしがき
 
 どんな大通り、どんな車の行列の中でも、ひときわ目立って大きい図体で、あたりを見下してまかり通るコンクリート・ミキサー寧……そのボディには住友とか小野由とかよく耳にする大独占企業の会社名をつけて堂々と、つっ走っている。
 私たちにとって、この巨大な図体と大会社の名前を背負って働く運輸労働者の生活はそれほど身近なものではなかった。
 私自身、今度の仕事で全国自動車運輸労働組合(略称全自運)関扇運輸支部の人たちとつきあぅようになるまで、ほとんどなにも知らないも同然だった。大独占会社の名前をつけていても、運んでいる車の所属は下請の別会社であることも、たぶん普通よりいいだろうと考えていた賃金は、ひどく悪く、長時間残業でやっと家族を養える状態であることも、初めて聞いて驚いた次第。
 セメント―生コンクリート産業といえば、日の沈むことのない独占企業、お気にいりの産業の一つに数えられる。原料はただ同然で、しかも戦争の中でも、破壊からの復興の時期でも、高度経済成長の中でも、建設のあるかぎり、需要がのび続けてきた産業である。
 この金の卵を生む商品の運搬をひきうける運輸労働者が情け容赦なく、こきつかわれ、人なみに待遇改善を要求し、活動を始めめただけで資本の大ダンビラを振り廻され、組織破壊をやられた。やられたことを並べると、人生整理、残業ストップ、第二組合づくり、クビキリ、ビラハリ逮捕、破産、他企業による企業再開と項目だけでも大変な数にのぼる。
 この関西経営陣の露骨で悪どい労働組合つぶしの攻撃をうけて立った三〇人の男たちは運転以外はかあちゃんにもロクに物のいえなかったサラリーマン運転手たち、そして、半分はヤクザ、バクチ、アル中に競輪気ちがいに創価学会員と、まずは資本家の義理と人情とゼエの攻撃に-番弱くく、放浪ぐせの強い、男たちの集団。
 こんなに定着性のうすい、団結に緑のなかった運輪労働者たちが、どうして、家族・家畜ぐるみで、五年=一八五六日の生活の根っ子からのたたかいにたえることが出来たのか、そのことが私の一番大きな関心事だった。                     
 平均年齢三四歳強。若もののバイタリティーだけのたたかいではない。しかも、相手は資本金一〇〇億をこえる日本セメントーアサノコンクリート独占。零細下請企業の親会社・独占の支配に真っ向から立ち向かい、突破口を開く責任をもったたたかいであった。
 全自運引間委員長から“運転手もよめる、面白い記録”をといわれた言葉を頭にこびりつがせて、仕事をつづけた。
 最後に、記録づくりに最初から協力していただいた柳沢明朗氏と飯島君をはじめとする労働旬報社編集部のご好意にお札を申しのべたい。
(一部、言葉使いに、現在では不穏当な使用がありますが、そのままにしました――編集子)

 


 
    (以下のページで全文が読めます)
  








1960年代の生コン労働者のたたかい――『抵抗』


 今から50年ほど前、東京では『たたかう労働者のど根性』が発行され、『東京争議団物語』(労働旬報社)がそれを引きつぎ、「60年安保」後の高度成長時代における多くの労働者のたたかいを激励した。

 この冊子『抵抗』は、大阪でたたかい始めた「生コン労働者」の闘争記である。その序文をここに引用しておく。

  うたれ、たたかれ労働者は強くなる
  全自運大阪地方本部中央委員長 柳川恒夫


 全自運関闘運輸支部のたたかいは、すでに八○○日をこえを(ママ)長期のものとなった。
 寺沢委員長を先頭に、現在も三十数名のわたしたちの仲間が、分裂、首切り、刑事弾圧、企業閉鎖、破産宣告など、およそ資本家と国家権力が組合つぶしや、労働者の弾圧につかってきたありとあらゆる攻撃に屈することなくたたかっている。
 わたしは、これら兄弟たちと、苦しい生活をささえて頑張って下さっている家族の方々に心からの敬意と連帯のあいさつを送ります。
 
 関扇のたたかいは、独占資本とその系列、下請のもとにある中小企業、その支配機構をもっとも露骨に示す縮図であります。
 アサノコンクリートと日本セメントの至上命令のもとに関扇運輸株式会社は、労務に元警察官をやとい入れ、かずかずの不当労働行為をかさね、それが組合員の団結の力で粉砕されるや、関扇運輸の会社もろともつぶしにかかり組合破壊を策してきたものである。
 アサノは、組合活動家の首切り、警察権力をつかっての弾圧によっても組合つぶしができないとみると、関扇社の重役陣の退陣をつめより、上田社長を“自殺”に追いこみ、新たな組合破壊の手段として関扇社を破産させるにいたった。
 つまり、関扇運輸はアサノの一運輸部門であり上田社長は、アサノ社の運輸課長か労務課長にすぎなかったのである。
 いま、大阪地労委において組合は、大阪アサノを相手方として不当労働行為の追求をおこなっている。
 アサノの指導のもとにおこなった「合理化」、組合破壊、首切りの謀議、そのための資金融資など、かくすことのできない事実が多数の証拠によって暴露されている。
 関経連をはじめ、資本家団体はこれが労働委員会の事件となることをおそれ「不当労働行為の責任は第三者のアサノ社にない」と地労委の公益委員に圧力をかけ審問をひらかせまいといろんな妨害を加えてきた。
 関扇の仲間たちは、二○○団体あまりの労働組合や民主団体に支援と共闘をよびかけ、これとの闘いを組織し、連日のように抗議行動をおこない、丸一年かかって審問をひらかせることに成功した。
 関扇のたたかいは、中小企業ではたらく労働者が立ちむかうべき方向をきりひらく上で重要な意味をもっていろ。
 一方、大阪府警は、組合の弾圧にのりだし、資本と一体となって労働組合として当然の日常活動である「ビラはり」を「建造物損壊」「不法侵入」とデッチあげ、組合員七名を不当にも逮捕し、一一名を起訴した。組合は、これにも反撃をくわえ、会社が淡路警察署警察官に酒食のもてなしをおこなったり、贈賄をなしていた事実を摘発し告発した。いま大阪地裁ですすめられている公判廷は、まさに被告である組合が検察側を追求していく闘いの場である。
 一一年前の関扇の仲間たちは、われわれの周囲のどこにでもみられる、「いい父ちゃん、」「いい青年」であった。かれらは、一カ月に一○○時間もの長時間労働を強いられても、生活のためには或る程度はやむを得ないと辛棒して朝早くから夜おそくまで黙々と働いた。
 全面的な「合理化」攻撃は、ざらに苛こくな労働条件を生コン労働者に要求した。かれらは、だまっていては殺されるとこまるで追いつめられ、立ちあがったのであった。
 憲法に保障された労働者の団結権を資本家はけちらしてくる。分裂がおこる、さらにかたい団結の必要にせまられる。家庭では生活の問題を解決せねばならぬ、一つの問題を克服するとまたあらたな難問がたちはだかってくる、警察は善良な市民の味方だと思っていたが組合に立ちむかってくる、裁判所は、明らかに偽装の破産を宣告した。このような闘いの中で吸血鬼のような資本家の真の姿をみた、資本主義のからぐり、戦争の問題、すべてをみる目が闘いの中でみずからのものとなっていく。
 八○○日の闘いは、関扇の仲間たちの階級的自覚をよびさましたのである。
 関扇のたたかいは全自運の貴重な経験であり、日本の労働者階級の土根性を示したのである。


 関扇闘争の位置づけは、当事者の「関西生コン」労組の創世記の歴史として、下記のように位置づけられている。 

    http://www.kannama.com/news/news2009/rekisi/siburekisi2.html


 関扇闘争のそもそもの出発点での要求は「せめて日曜日くらいは休ませて欲しい」というものだった。組合との間で「日曜休日」協定(64年)があるものの、会社はそれを無視して一方的な指名で日曜稼働を強行していた。親会社のアサノは関扇運輸に対し契約更新をエサに組合つぶしを指示し、以後警察幹部あがりの労務屋の導入、組合分裂・乱立、さらに一組への時間外労働のカット(日干し)攻撃をかけた。そして65年1月一組の9人に解雇が通告された。後に判明した事だが、会社はこの解雇に先立って「退職金、賃金、予告手当」に充当する為にアサノに対し「御融資御願」を提出していた。
 関西扇支部は警察OBの労務屋や、「守衛」という形で導入された暴力団の脅しの中で解雇撤回闘争をつづけた。3月には社屋ビラ貼りを理由に7人が逮捕される等、警察と会社が一体となって弾圧がつづいた。

 背景資本・アサノに対し勝利/69年10月
 だが6月1日、大阪地労委は不当労働行為を確認すると共に、残業停止以降の実損1300万円の支払いを命じた。つづいての会社との交渉でも、①残業停止の解除②9人の解雇撤回が確認された。
 ところがその交渉から8日目、6月17日関扇運輸上田社長は国電に投身自殺してしまった。遺された遺書には「アサノの指示によりシュンジュンした・・・」と親会社アサノを非難する文面がかきつらねられていた。社長を失った関扇社は自己破産手続きをして雲隠れしてしまった。
 組合は既に「1300万円の未払い賃金」について労働債権として差し押さえていたが、これからの長期にわたるであろう闘争を予測して、失業保険、アルバイトの完全プール制、生活保護と財政面での自立の道を確立して行った。また会社の放置した書類中から会社と警察との贈収賄関係や二組づくりの数々の動かぬ証拠も発見した。
 そして関扇倒産の真の黒幕であるアサノコンクリート及び日本セメントへの抗議も執拗につづけられた。地労委審問の場にアサノの代表をひきづり出す事にも成功した。ビラ貼り事件で刑事被告席にひき出された仲間の裁判もついに高裁でも一審の無罪判決が支持された(69年10月3日)。
 地労委での不当労働行為の当事者責任がもはや、逃げられない。こうしてアサノは軍門に降った。69年10月21日、関扇支部との間で、①30名の就職斡旋、②協定後2ヶ月間の生活保障、を内容とする協定が交わされた。足かけ6年、1856日間に及ぶ闘いの勝利である。親会社である大阪アサノを解決のテーブルに引っ張り出しての勝利であり、後の「使用者概念の拡大」「背景資本追及」の闘いへとひきつがれていくのである。

 ドキュメント作家の今崎暁巳さんは、『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(1970年6月)を書き、当時の生コン労働者の姿、大阪万博とニュータウン建設に向けた都市ビルド、そこにおける資本と警察一体になった攻撃、そして背景資本=アサノの追及などを描いている。








   ▽2019.10.23
   




 ▽2013.01.19
 1960年代、高度成長期に都会(東京)に集積した若い労働者の「たたかう労働者のど根性」を描いて励ました『東京争議団物語』(1965年、市毛良昌・佐藤一晴ほか著、旬報社のHPで読める)は、労働者によく読まれた本だが、1970年代に向けて昭和二ケタ世代の「普通の労働者・サラリーマン・記者たち」が読売資本の意を受けた報知新聞経営者の、一方的な「ロックアウト」に抗して立ち上がったドキュメントが、このPDF版『良心の歴史をつくりたい』だ。  
 亡くなったドキュメント作家・今崎暁巳さんも参加して編集・出版された。  

 まだ労働者という言葉が、社会に訴える力があり、「アロハシャツを着て、スポーツカーみたいな車に乗って」全国の新聞労連傘下の労働組合や国労、全逓、県評などを回ったと語り継がれたたたかいだ。  

 企業別組合の底力が発揮されて解決していくわけだが、その後、『早く高く勝利を』(単行本)も出版し、報知印刷労働組合は第2組合を解散させた「力」をもって、企業内でもイニシャチブを一貫して発揮つづけてた。

 そして、官公労が中心だった総評運動に並行して千代田区労協などの「地域共闘」の育成でも、全国でも有数のレベルの労働組合になり、1970年代から80年代には、日本製紙、大映、日本フィル、浜田精機、細川活版などの大型争議解決の先鞭をつけ、ニチモウ・キグナス争議、そして沖電気争議などの東京争議団や東京地評などの東京総行動(スモン闘争支援など)を発展させた「拠点」となった。



 ▽同書の目次。

 
    (以下のページで全文が読めます)
  





  ▽2020.10.07
   




 ▽2013.01.19
はじめに

 “第二のサンケイ化”を拒否して四五年夏五か月のロックアウトとたたかった報知労働者のうち二三人が不当解雇されました。読売・報知資本の暴力ガードマン導入・先制ロック攻撃をはね返して職場に復帰した二月のことです。以来六か月、報知労働者は不当解雇撤回と職場の合理化反対とを結びつけて、再びたたかいを広げています。このたたかいも、全国の労働者・市民に支えられて、必ず勝利することでしょう。
 なぜそう確信できるのか――ロックアウト時、一人ひとりその生き方を問われた報知労働者約七○○人のたたかいが、その疑問に答えるはずです。四五年、一○万部読まれたパンフレット『良心の歴史をつくりたい』につづいて、七○○人の労働者が、弾圧にたいしてどういう生き方をしたのか、その記録を報告します。

 報知争議共闘会議は、暴力ロックアウトにつづく不当解雇攻撃を、労働者と労働組合の基本的権利にたいする読売・報知資本の挑戦であると考えます。この挑戦に屈することは、国民の「知る権利」「発言する権利」を危機にさらすことにもつながります。私たちは報知労働者とスクラムを組んで勝利の日まで断固たたかいつづける決意です。

 報知争議共闘会議 日本労働組合総評議会 東京地方労働組合評議会 千代田区労働組合協議会 マスコミ共闘会議 総評弁護団 日本新聞労働組合連合




 全国のみなさんに訴える

 私たちは現在、職場にどっしり腰をすえて元気にたたかいつづけています。不当解雇された二三人も持ち前の明るさを失わず忙しい毎日を過ごしています。
 会社はあいかわらず、第二組合との差別を強行しようとしたり、裁判の引きのばしをはかったり、露骨な組合つぶし政策をとりつづけています。私たちは「今、新しいたたかいが始まったばかりだ」と確認しながらじりじりと反撃しています。きびしいロックアウト闘争によってきたえられ、働く人間にとって大切なものは何なのかを知った、一人ひとりの自信が支えになっています。いたる所で仲間に出会い、その仲間によって教えられてきた自信でもあります。新聞労連・各単産・地域の仲間をはじめとして、全国で支援・共闘してくださったすべての人々に、心から御礼申し上げます。
 私たちのたたかいが今後も、よりいっそう多くの方々に御理解・御支援いただけますよう、共闘会議に作っていただいたこのパンフレットをできるだけ広めていきたいと考えています。「報知の仲間を守る会」(一口毎月一○○円)にも御参加いただきたく、合わせて御協力をお願いいたします。
 またこのパンフレットのために、貴重な時間をさいて尽力してくださった労働旬報社の柳沢編集長、飯島編集部員、小林営業部員、また東銀座印刷のみなさまに、心から御礼申し上げます。 
 報知新聞労働組合 執行委員長 古川 洋一
 新聞労連 報知印刷労働組合 執行委員長 山口 克巳
 報知印刷大阪労働組合 執行委員長 糸井 富雄

▽抗議先
 東京都中央区銀座西三の一 読売新聞社長 務台光雄
 東京都千代田区平河町二の二九 報知新聞社長 菅尾旦夫 報知印刷社長 岡本武雄
▽激励先
 東京都千代田区平河町二の二九 報知新聞労働組合 報知印刷労働組合  大阪市北区野崎町四六 報知新聞労働組合大阪支部 報知印刷大阪労働組合


 ▽同書の目次。

 
    (以下のページで全文が読めます)
  





  





1970年代~80年代へ、主な東京争議団運動関連の出版物
『争議組合物語 828日の日本製紙闘争』(日本製紙労働組合編、労働旬報社、1974年) 『早く高く勝利を 報知闘争の記録』(報知系三単組共闘会議 編集、労働旬報社、1976年)
『石流れ木の葉沈む日々――三菱樹脂・高野事件の記録(高野不当解雇撤回対策会議、労働旬報社、1977年)
 『ふたたび不死鳥は翔ぶ―経営再建・映画復興への挑戦』 (映演総連・大映労働組合編、労働旬報社、1979年2月)
 
『めしと団結 大阪生コン労働者の闘争』(今崎 暁巳著、労働旬報社、1970年)(表紙をクリックすると、本文が読めます) 『関西争議団物語』(労働旬報社編集部編、労働旬報社、1966年)(表紙をクリックすると、本文が読めます)
 『この人生に愛なくば いのちと自立のうた』(今崎 暁巳著、労働旬報社、1981年)  




ベストセラーどぶ川学級』
(須永茂夫著)の誕生――全金日本ロールの闘いの中で


『どぶ川学級』(須永茂夫著、労働旬報社、1969年) 『続 どぶ川学級』(須永茂夫著、労働旬報社、1973年)
『どぶ川学級 完結編』(須永茂夫著、労働旬報社、1975年)

 

◆映画「どぶ川学級」で日本全国へ

映画「どぶ川学級」、山本亘、地井武男、橘祐典 (監督、脚本)、1972年。「この作品のあらすじ・みどころ」へ。  映画「新どぶ川学級」、森次晃嗣、丘みつ子、吉永小百合、岡本孝二監督、日活、1976年。「この作品のあらすじ・みどころ」へ。 






感動を呼んだ、日本フィル闘争3部作!(今崎 暁巳著)と映画化


『友よ! 未来をうたえ 日本フィルハーモニー物語』(今崎 暁巳著、労働旬報社、1975年) 『友よ! 未来をうたえ 日本フィルハーモニー物語<続>』(今崎 暁巳著、労働旬報社、1977年)
『新世界へ 日本フィルの旅たち』(今崎 暁巳著、労働旬報社、1984年) 「映画 日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章」(監督・神山征二郎、1981年9月)



   




 
「労働者の闘いの記録」     (産別会議記念・労働図書資料室)   
「地方争議団研究序説」――神奈川の事例を中心として (光岡博美、駒沢大学教授、駒沢大学経済学論集、第11巻第3・4号)
「ニチモウキグナス労資紛争史 1 :  70年代における企業合理化と労働組合運動」→23へ(山本興治 下関市立大学、下関市立大学論集、公開日 2010-03-03)           
「大映研究序説 ――映画臨戦体制と大映の創設」(井上雅夫、立教経済学研究第64巻第3号、2011年)           
 造船産業合理化から地場産業を守る闘い 元全日本造船機械労働組合中央本部書記長 大河内俊雄、静岡社会文化協会 






果敢に挑戦した「大企業の労働問題・労使関係」


   
『三菱帝国の神話』 (今崎暁巳著、1977年) 『松下王国の神話』(橋本・中山著、1978年)
『ドキュメント東京電力  その栄光と影』(山本忠利, 渡辺利夫, 正木浩三、労働旬報社, 1980年7月)
   
『ドキュメント 日本航空』(今崎暁巳著、1982年9月)
2019年3月23日 (土):
日本航空で「勇気をもって闘った」――小倉寛太郎さんに続いた人物(土井清著)
『関西電力の誤算 上』 (大谷昭宏事務所関電争議取材班、労働旬報社, 2002年7月)
『関西電力の誤算 下』 (大谷昭宏事務所関電争議取材班、労働旬報社, 2002年7月)






まともな労働組合運動への共鳴!


   
『なにをみつめて翔ぶのか』
(今崎暁巳著、労働旬報社、1980年3月)
「沖電気争議の記録 次世代に伝えておきたいこの闘い(1978年~1987年)」(沖電気の職場を明るくする会)
『青い鳥はどこへ―日産厚木除名・解雇事件』 (青木慧 著、1980年12月)
2012年9月29日 (土):青木慧さんの『ニッポン丸はどこへ行く』――インフォーマル組織物語Ⅵ
『雪とふきのとう : 雪印の陰謀を追って』(門倉詇 著、1981年11月)
2012年9月19日 (水):会社を破壊した雪印食品DEC――インフォーマル組織物語Ⅳ
   
『ドキュメント 日本航空』(今崎暁巳著、1982年9月)
2019年3月23日 (土):日本航空で「勇気をもって闘った」――小倉寛太郎さんに続いた人物(土井清著)
『自立する労働運動―知られざるインフォーマル組織』(吉村 宗夫著、 1983年4月)
『労働組合をつくりかえる』(黒川俊雄、木下武男、高橋祐吉、永山利和、五十嵐仁共著、 1988年4月)
   
『自己革新の旅 : こころの時代の労働組合』(深井建二・西日本新聞労組委員長著、労働旬報社、1985年3月) 『労働組合のロマン――苦悩する労働組合運動からのレポート』(中西五洲著、労働旬報社、1986年2月) 『中西五洲さんの思い出――主な論文・エッセイ抄』(現代労働組合研究会編、 ▽2015.02.24)
   
 「関西生コン労働組合運動の歴史と到達点――業種別支部型労働組合運動が切り開いたもの 」(新しい労働組合運動の模索―2―他人の痛みはわが痛み)、武 建一、「賃金と社会保障」 847号、 1982年08月。
「関西生コンの研究」(業種別職種別ユニオン運動研究会のHP)
『私の選択 あなたの未来 プロレタリアートへのメッセージ』 (寿岳章子、小林康二ほか編、全大阪金属産業労働組合20周年記念、労働旬報社、 1987年11月)
『企業社会の扉をひらけ ドキュメント 沖電気争議』(中山森夫・矢吹紀人著、労働旬報社、本文イラスト 八島崇好、本文写真 藤田庄市)
     
『協働の未来に光あれ! パラマウント製靴の歩みと労働者生産協同組合へ』(石井光幸・パラマウント製靴共働社、シーアンドシー出版刊、1995年8月、B5判並製、400頁) 『皆でたたかった50年――全日自労三重県本部の歴史』(全日自労三重県本部・協同総合研究所編、シーアンドシー出版、1996年)
「『皆でたたかった50年―全日 自労三重県本部の歴史』の刊行に当たって」(手島繁一、協同の発見、1996年6月、51号)
『会社がなくなるとき―雪印食品の企業破壊を許さず』(吉村宗夫著、シーアンドシー出版、– 2002年8月)

 『労働組合をつくりかえる』/【目次】
プロローグ あなたにとっての労働組合をどうする(労働組合を内面からつくりかえる/「産業空洞化」時代をどう読む)/これからの日本と労働組合(「連合」結成-なぜ?/21世紀戦略をめぐる“混沌”/「生活小国」における“賃上げ”の再浮上/一生=一企業時代の終えん?/ME化の進展で職場はどうなる/円高下の中小企業はどうなる/「人生80年時代」の課題は何か 60歳定年制の「空洞化」/高まる社会保障への関心/働きすぎをやめて“ゆとり”と文化をわが手に/減りつづける組合組織率-どうする)/ウォッチング労働界と政治(政治とのかかわりが深い「連合」/どうなる自民党との関係/社・公・民はどうなる/政治参加のバランスシートを読む)/労働組合をつくりかえる(民間大企業組合の現実は/「連合」は企業社会の風に乗って/「総決算=日本の労働組合」/《いかない、いけない大集合》はできるか/新しいユニオン像を求めて/地域づくりの担い手として/こんなナショナル・センターがあったら/企業社会と決別する普通の人びと/豊かでゆとりある生活向上は)/労働者=人間の顔をした労働組合づくり(労働組合のアイデンティティとは何か/人間らしい労働への挑戦/男たちの生き方が問われている/運動の自己改革の緊急性/みずからの生きかたを模索できる労働組合/労働者=人間の顔をした労働組合へ)





「東京争議団物語」、そしてその後‼ のページ

◆「東京争議団共闘の十五年」――1970年代の東京争議団運動を激励した論文

 



1960年代から始まった東京争議団――「闘う労働者のど根性」

 
 
 
 
 

  
 
  

 

 

1970年代向かって、新たな青年たちの闘い

 

 

◆ベストセラー『どぶ川学級』(須永茂夫著)の誕生――全金日本ロールの闘いの中で
 

 

 

 

◆感動を呼んだ、『友よ! 未来をうたえ 日本フィルハーモニー物語』と映画化。
  

  

  



◆争議団運動めぐる図書と研究者・運動家の発信



現代労働組合研究会のHP
  
  労働組合・ユニオンの動向
  それぞれの労働運動史・論 1
  それぞれの労働運動史・論 3
  それぞれの労働運動史・論 4
  労働組合・労働問題の本
  ユニオンショップを超える
  連合を担う人たち
  全労連を担う人たち
  
全労協をになうひとたち
  インフォーマル組織の過去・未来




「東京争議団物語」、そしてその後‼

編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
企画インターネット事業団
制作: インターネット事業団(本メールにご連絡ください)

UP 2019年12月01日 
更新 2019年12月03日
更新 2020年07月07日
更新 2020年10月07日
更新 2020年10月08日